1. コラム

酒が生み、たばこが育てたNASCAR(下)

このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです

 今月9日に米ジョージア州ハンプトンのアトランタ・モーター・スピードウェイで開催されたNASCAR(全米ストックカー協会)最上位カテゴリー「スプリント・カップ」の第4戦「コバルト・ツールス500」にて、トヨタ自動車7203が歴史的な初勝利を収めました。

 スプリント・カップはこれまでGM(ゼネラル・モーターズ)、フォード・モーター、クライスラーの米国3大自動車メーカーの牙城で、外国メーカーが勝利を収めたのは1954年の英ジャガー以来、54年ぶりとなる快挙となりました。

 トヨタのNASCAR初登場は2000年のことでした。トラック部門のレースであるクラフツマン・トラックシリーズに「タンドラ」で参戦し、昨年から「カムリ」で乗用車部門にも参戦していました。

 実は、9日に「カムリ」で勝利を挙げたドライバー、カイル・ブッシュは、7日のクラフツマン・トラックシリーズでも「タンドラ」で勝利を挙げており、同一週末に行われたカップシリーズとトラックシリーズ両方で勝利を挙げたNASCAR史上初のドライバーとなりました。

 トヨタにとっては、大いにその存在感を示した週末となったわけですが、実は2007年にトヨタが「カムリ」でNASCARに参戦した際、多くがクラフツマン・トラックシリーズから撤退すると考えていました。トラックシリーズは、スプリント・カップへの足がかりだと考えたのです。

 しかし、トヨタは撤退しませんでした。なぜなら、トヨタがNASCARに参戦する最大の目的は、「タンドラ」を売ることだからです。実は「カムリ」を走らせるのもこのためです。一見不可思議なトヨタのこのマーケティング戦略を読み解くには、NASCARスポンサーシップの本質を理解しなければなりません。
 

年間75億円にも及ぶスポンサーシップ料

 前回のコラムで解説したように、NASCARが米国でNFL(全米フットボール協会)に次ぐ“第2の人気スポーツ”にまで上り詰めた背景には、スポンサー企業・ファン・ドライバー(チーム)3者による鉄の“トライアングルモデル”の存在があります。ファンやドライバーがスポンサー企業に非常に高い忠誠心を示すNASCARでは、スポンサーとなるフォーチュン上位500社の数が他のどのプロスポーツよりも多く、逆に多くのプロスポーツがこのNASCARモデルに注目し始めています。

 NASCARは、このトライアングルモデルを用いた徹底的なスポンサー企業へのメリット創出によって、他のスポーツリーグとの差異化を図ってきました。高額なスポンサーシップフィーの対価として、企業に様々なスポンサーシップ権を与え、売り上げ増大に大きく貢献するのです。

 現在、NASCARのオフィシャルスポンサーの権利料は1社当たり年間2000万ドル(20億円、1ドル100円換算以下同)前後と言われています。レース名に社名を入れることができるタイトルスポンサーとなると、その額はさらに跳ね上がります。2004年にNASCAR最上位レースカテゴリーのタイトルスポンサーとなった業界シェア第3位の携帯電話キャリア、スプリント・ネクステルは、10年総額7億5000万ドル(750億円)の契約を結んでいます。

 一般的に、スポーツ組織とスポンサーシップ契約を結ぶと、企業にはスポンサーシップ料の対価として、広告看板、公式スポンサーとしてのステータス保証、リーグロゴのプロモーション利用、試合や特別イベント(オールスターゲーム、プレーオフなど)でのスペース確保、プレミアゲームの招待チケット、選手へのアクセス等といったスポンサーシップ権が与えられることになります。企業は、こうした権利を用いてスポンサーシップ投資に見合う効果を創出するために知恵を絞るわけです。

米国で流行するアクティベーションの最高の場

 数年前、米国のスポンサーシップの世界では、「アクティベーション」(Activation)という言葉が流行語になりました。今ではすっかり定着した感があるこの言葉には「活性化する」という意味があり、スポンサーシップの文脈で読み解くと、「与えられたスポンサーシップ権を最大活用する」という感じになります。

 つまり、スポーツ組織側から考えると、「権利を与えるだけでなく、スポンサー企業が権利を使ってどのように経営上のメリットを出すのか、一緒になって考える」というスタンスだと言えます。

 スポンサーシップを絵に画いた餅には終わらせないようにする「アクティベーション」という考え方は、今では米国のスポンサーシップ契約で一般的になっており、企業側のスポンサーシップ予算も「権利の獲得」と「権利の活用」に分けられるようになってきています。

 スポーツ団体側もこれに呼応し、スポンサーシップは「売って終わり」ではなく、「売ってから始まる」というスタンスへのシフトが起こっており、セールスからサービスへ重点が変化しています。そして、その究極のスポンサーシップサービスが、NASCARが設置している「B2Bカウンシル」(B2B Council)なのです。

「B2Bカウンシル」の全貌とは?

 B2BカウンシルはNASCARが2004年に設立した、「NASCAR公式スポンサーによる公式スポンサーのための協議会」です。四半期に1度開催され、メンバーとなったスポンサー企業の担当役員やマーケティング責任者らが一堂に会するのです。つまり、ここに集う多くがフォーチュン500社の意思決定者ということになります。

 B2Bカウンシルの目的は、次の2つに要約されます。

 第1の目的は、他社のスポンサーシップ戦略やノウハウの共有です。カウンシルでは、それぞれの企業の担当者が自社のマーケティング戦略やそれを具体化したスポンサーシッププログラムを包み隠さずプレゼンテーションします。参加者は、このカウンシルから他社のマーケティングノウハウや具体的なスポンサーシップ事例といったヒントをたくさん持ち帰ることができるわけです。

 第2の目的は(これこそB2Bカウンシルの真骨頂なのですが)、スポンサー企業間でのビジネスチャンスの最大化です。スポンサー同士で手の内を見せ合い、協力できるところは協力して「Win & Win」の関係を構築し積極的にビジネスを広げていきましょう、という狙いがあります。

 もともと、このB2Bカウンシルの設立を提案したのは、米製紙会社、ニューページ(NewPage)でした。同社は、1996年からNASCARのチームスポンサーとなっていましたが、当時はNASCARのスポンサーシップ権を用いて同社の得意先や潜在顧客を接待することを主な目的としていました。

 しかし、もっと直接的にNASCARのスポンサーシップを売り上げにつなげたい同社は、NASCARのパートナー企業に商談を持ちかけてみてはどうかと考え、B2Bカウンシルの設置を呼び掛けたのです。

 この試みは大きな成功を収めました。ニューページは、B2Bカウンシルのおかげで2004年に2万9000トンの紙製品を、NASCARのパートナー企業に販売することができたのです。多くは株主への年次報告書用で、内訳はNASCARのレース場を管理するインターナショナル・スピードウェイ・コーポレーションに800トン、NASCARスポンサーのリーバイスに100トン、キャタピラーに475トン、NASCARにイヤーブックやプレスガイドなどを提供するUMIパブリケーションズに260トンといった具合でした。

 さらに同社はNASCAR.comのパンフレットも手がけています。まさに芋づる式と言えます。それもそのはず、B2Bカウンシルを使えばフォーチュン500社の意思決定者に直接コンタクトできるわけですから、話が早いのです。

スポンサーが獲得したビジネスチャンスの中身

 ニューページの成功を目の当たりにして、多くのNASCARスポンサーがB2Bカウンシルに参加するようになりました。2004年のカウンシル創設メンバーはニューページを含め5社でしたが、2007年シーズン開幕時にはこれが14社になりました。ニューページのように、B2Bカウンシルを使ってNASCARのパートナー組織とのビジネスを成功させている企業は枚挙に暇がありません。

 例えば、2005年からNASCARの公式スポンサーとなったジェット機メーカーのガルフストリーム(Gulfstream)は、2年で5機のビジネスジェットをNASCARスポンサーに販売することに成功しました。NASCARでは、今や多くのドライバーがチーム所有のプライベートジェットやヘリコプターでレース場入りする時代となっていますが、同社はここにもさらなるビジネスチャンスが眠っていると見ています。

 2001年よりNASCARの公式スポンサーとなった廃棄物処理業者のウェイスト・マネジメント(Waste Management)は、NASCARの7つのレース場と廃棄物処理契約を結び、年平均1000万ドル(10億円)の増収を実現しています。また、NASCAR公式ハンバーガーを提供するファストフードチェーンのチェッカース(Checkers)ともごみ処理契約を結ぶことに成功し、ビジネスを広げています。

 NASCAR公式ホテルのベスト・ウェスタン(Best Western)は、スポンサー企業に勤務する従業員に対して特別割引を実施しており、特別予約サイトまで用意しています。スポンサー企業の従業員は、レースの度に得意先や見込み客を接待するためにレース場に出張しなければならないからです。

 全米2300カ所以上にホテル網を有するベスト・ウェスタンにとっては、またとないビジネスチャンスというわけです。また、ホテルのカードキーにはNASCAR公式ピザ、ピザハットのロゴが張られ、客室には注文用メニューが置かれています。自動販売機では、NASCAR特別パッケージのコカ・コーラが販売されています。

 このように、B2Bカウンシルによって、スポンサー企業のビジネスが大幅に加速されているのです。そして、実は冒頭で今季初勝利の快挙を紹介したトヨタもその例外ではないのです。

すべては「タンドラ」を売るために

 米国南部を中心に広がったNASCARのもともとの顧客基盤は、ローワーミドル階級のブルーカラー(肉体労働者)が中心でした。NASCARが今のようなメジャースポーツとして躍進するのは1990年代になってからのことですが、それ以前からのファンは“NASCAR冬の時代”を知っている人たちです。

 無一文からレースを始め、自宅を抵当に入れてレース資金を調達し、勝てば賞金で自宅を取り戻し、負ければすべてを失うという環境でレースに臨んでいたドライバーは、体一つで日常生活を必死に生きるファン自身と何ら変わらない存在だったのです。ファンにとって、ドライバーは自分自身をレース場に投影した「分身」であり、NASCARはライフスタイルそのものだったのです。

 実は、こうした米国南部の保守層こそピックアップトラックのメインユーザーなのです。しかし、こうした層では「男なら、クルマはフォードか、シェビーのピックアップトラック」という価値観が長らく世代間で継承されており、これこそトヨタがタンドラの販売で越えなければならない大きなハードルだったのです。トヨタがNASCAR参戦を決意したのは、このハードルを越えるためでした。

 「カムリ」はここ6~7年間ずっと米国におけるトヨタのベストセラーです。米国で最も親しまれているトヨタ車と言って差し支えないでしょう。この米国でのトヨタの代名詞とも言える車をNASCARに参戦させたのは、ほかでもなくトヨタブランドを米国南部の保守層に浸透させるためです。

 コカ・コーラやバドワイザー、マクドナルド、ケロッグといったNASCARスポンサーは、米国人に長年親しまれてきた代表的な消費者ブランドです。トヨタは、こうしたスポンサーと肩を並べることで、外国メーカーとしての心理的障壁を少しでも和らげ、NASCARファンのライフスタイルに「合致している」と認めてもらおうと考えているのです。

米国南部の消費者にアピール

 以前、「中国3億人のバスケ人口を取り込め(上)」にて、全米バスケットボール協会(NBA)ヒューストン・ロケッツ(テキサス州)のアリーナの命名権を取得した「トヨタセンター」の事例を紹介しましたが、これも同様の目的からです。

 トヨタはさらに一歩踏み込んだ試みを行っています。数年前から、米国南部各地で開催される州の特産展や農芸展覧会にて、牛やトウモロコシ、ジャムなどに交じってタンドラが展示されているという一風変わった光景を目にするようになりました。これは日本に置き換えるなら、広島県の特産展でカキやお好み焼きなどに交じってフォードのピックアップトラックが展示されているようなものです。

 こんなことが実現できた背景には、B2Bカウンシルの存在があります。トヨタが2007年にスプリント・カップに参戦した際、建築機械メーカーのキャタピラーがレースカーのスポンサーとなっていたという縁もあり、B2Bカウンシルを通じて州特産展でキャタピラーの持つ展示スペースを借り受けることができたのです。

 米国の建設現場では、必ずと言っていいほどキャタピラー製の建築機械が使われており、米国で高い認知度を誇っています。そこでは、必ず建築資材運搬用のピックアップトラックが使われますが、その流れでタンドラが紹介されているのでしょう。

NASCARモデルが日本にやってくる?

 スポンサー企業が、ファンやドライバー(チーム)ばかりでなく、スポンサー同士も一緒になって売上高を伸ばしていくNASCARモデル――。今、この成功モデルが世界に広まり始めています。

 2004年、経済成長が著しい南隣の国メキシコで、NASCARは現地のエンターテインメントグループと共同出資でストックカーレースを開始しました。 2007年からは、NASCARがレースの興行主となり、名称もビールブランドをタイトルスポンサーとした「NASCARコロナシリーズ」(NASCAR Corona Series)と変更しています。

 2006年には、北隣の国カナダで、モータースポーツ団体「カナダストックカー協会」(CASCAR)を買収しました。そして、翌2007年からカナダのジェネラルストアをタイトルスポンサーにした「NASCARカナディアンタイヤシリーズ」(NASCAR Canadian Tire Series)をスタートさせています。

 隣国から着実に成功モデルの浸透を図っているNASCAR。彼らが日本に来るには、まだ時間がかかると思っている向きもあるかもしれません。しかし、実はすでにNASCARは日本市場に注目し、着実に手を打ってきています。

 そもそも、日本有数のサーキット、富士スピードウェイは、NASCARの開催を目指して建設されたものでした。会社の前身は、その名も「日本ナスカー」。しかし、コース設計がNASCARに向くように造れないために日本開催実現を断念した経緯があります。

 それでも、1990年代に入ると、再びNASCAR の日本市場へのチャレンジが始まります。1996~97年には、2年連続で鈴鹿サーキットにおいてNASCARレースが開催されています。NASCARとしては、海外でレースを開催した数少ないケースの1つでした。

 確かに、日本でのレース開催の実現にはいくつかの障害があります。レースカーの輸送費やピットクルーの交通・宿泊費の捻出などはその最たるものでしょう。果たして、NASCARが日本に上陸した場合、どのような影響をもたらすのでしょうか。

 F1人気が高い日本ですが、スポンサー企業には、NASCARの” トライアングル・モデル”は大きな魅力に映るはずです。そして、アメリカのスポーツリーグが”NASCAR化”し始めたように、日本の他のスポーツリーグ、ひいては企業広告の世界にも、大きなインパクトを与えるに違いありません。そして、そんな日が来るのは、意外に早いかもしれません。

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