1. コラム

今や恒例、オリンピックのゲリラ広告(下)

このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです

 空から落ちてきた巨大なサッカーボールが、高級外車をペチャンコに押し潰している――。それを目にした人は、度肝を抜かれるでしょう。そして、巨大なボールに描かれた「ナイキ」のマークは、強烈なインパクトとともに人々の記憶に焼き付けられるに違いありません。

 これは、2004年、サッカー欧州選手権に合わせて実際に使われた「宣伝広告」でした。ところが、米ナイキは大会の公式スポンサーではなかったのです。スポンサー料金は一銭も払っていないのに、あたかもスポンサーであるかのような錯覚を抱かせる宣伝広告を展開する…。この奇襲攻撃(Ambush)のようなゲリラ的マーケティングこそ、前回から紹介している「アンブッシュマーケティング」の代表例です。

「ゲリラの達人」ナイキが繰り出す新手法

 実は、斬新な広告・マーケティング戦略で知られるナイキこそ、「アンブッシュマーケティングの達人(Master of Ambush Marketing)」と呼ばれる存在なのです。

 始まりは1984年のロサンゼルスオリンピックでした。この大会で、IOC(国際オリンピック委員会)は赤字続きのオリンピックを立て直すべく、オフィシャルスポンサーシップ制度を導入します。多くの企業から多額のスポンサー料を獲得したわけですが、その裏で、既にナイキはアンブッシュマーケティングを開始したのです。

 ナイキが巨大スポーツイベントで展開してきたアンブッシュマーケティングは以下の通りです。

・1984年のロサンゼルスオリンピックで、「I Love LA」キャンペーンを展開し、開催都市とのつながりを意図的に強調した
・1986年のボストンマラソンで、新製品の発売日を大会当日に設定し、新製品の形をしたアドバルーンをボストン上空に打ち上げた
・1992年のバルセロナオリンピックで、米国バスケットボールチーム(通称ドリームチーム)のマイケル・ジョーダン選手、チャールズ・バークレー選手と個別に契約を結び、テレビで映像を流し続けた
・1996年のアトランタオリンピックで、米国内の放映権を持っていたNBCより大会期間中のCM枠を購入し、新製品「ズーム・エア」「マックス・エア」のCMを連日オンエアすると同時に、「ドリームチーム」のティム・ハーダウェイ選手に「ズーム・エア」を提供して試合中にロゴが露出するように仕組んだ
・同じくアトランタオリンピックで、オリンピックスタジアムに隣接する駐車場にテーマパーク「ナイキ・タウン」を設置した
・1998年のサッカーワールドカップフランス大会で、試合会場に近いパリのラ・デファンス広場でイベント「ナイキサッカー人民共和国」を開催した
・2002年のボストンマラソンで、開催地近くの地下鉄駅構内に、マラソンをモチーフにした巨大広告を掲示した
・2002年の日韓共催のワールドカップで、バスの車体に付ける広告枠を買い取って最新スコアを掲示するとともに、ナイキが契約するスター選手を起用した独自のサッカートーナメント「スコーピオン」を開催した
・2002年のソルトレークシティオリンピックで、米アイスホッケーチームに用具一式を提供して、テレビでのロゴの露出を狙った

 こうして見てみると、選手と個別に契約を結ぶことで、アンブッシュマーケティングを展開することが、ナイキの常套手段の1つだと分かります。1992年のバルセロナオリンピックの表彰式では、ナイキと契約した選手が、星条旗でユニフォームに付けられた公式スポンサーのロゴを隠したこともありました。

 そして、近年のアンブッシュマーケティングを試みる企業は、かなり知恵をつけてから「戦い」に臨んでいます。先駆者のナイキのような「達人」企業は、何人もの弁護士を擁する特別調査チームが、法的リスクを徹底的に精査しながら、訴訟に敗れないグレーゾーンぎりぎりのところを突いてくるようになっています。大会やイベントを管理する人が、防御できないような領域を巧みに攻めてくるのです。

 さらにやっかいなのは、味方だったはずの企業が、いきなりアンブッシュマーケティングを展開するようになったことです。

身内からわき上がる反乱

 全米フットボールリーグ(NFL)は、1991年に米コカ・コーラとの間に総額2億5000万ドル(約250億円)にも上る5年間の公式スポンサーシップ契約を結びました。しかし、この契約期間中の1995年、NFLダラス・カウボーイズのオーナー、ジェリー・ジョーンズ氏は、コカ・コーラの競合である米ペプシコと、テキサス・スタジアム(カウボーイズの本拠地)における10年間で総額4000万ドル(約40億円)のマーケティング契約を結んでしまいます。

 当時NFLでは、ソフトドリンク分野でチームがリーグ公認スポンサーと競合する企業と契約を結ぶことは許されていませんでした。しかし、かねてリーグの支配力が強すぎることに疑問を持っていたジョーンズ氏は、契約をスタジアムと結ばせるという裏技に出ました。リーグが文句を言ってきても、「契約したのはテキサス・スタジアム。我々とは関係ないから、違反にはならない」と主張したのです。さらにNFLを挑発するかのように、ジョーンズ氏はナイキとスタジアムとの間でも7年間のマーケティング契約を締結してしまいます。ちなみに、NFLのアパレル分野の公式スポンサーは米リーボックでした。

 こうしたジョーンズ氏による挑発行為に業を煮やしたNFLは、「ジョーンズ氏はチームが持ってもいない権利を濫用している」(前NFLコミッショナーのポール・タグリアビュー氏)と、契約の無効性を訴え、3億ドル(約300億円)の損害賠償と2億ドル(約200億円)の罰則金などを求める訴訟を起こしました。これに対し、ジョーンズ氏も「チームオーナーはリスクを取ってチームに多額の投資を行っているのだから、チーム独自のビジネス活動も認めるべきだ」として、逆にNFLを相手取り、独占禁止法違反の訴訟を起こしたのです。泥仕合の様相を呈した争いですが、結果的には両者が訴訟を取り下げました。そして、「暴挙」とも言えるジューンズ氏のマーケティング契約は、そのまま継続されたのです。

 ナイキやジョーンズ氏の事例は、グレーゾーンをうまく突いている点で共通しています。こうした巧妙なアンブッシュマーケティングに対して、主催者は有効な対抗策を打てないのでしょうか?

法的手段はパンドラの箱

 マサチューセッツ州立大学アムハースト校のジェームズ・グラッデン准教授とスティーブ・マッケルビー准教授が、米国メジャースポーツの公式スポンサー企業85社を対象に2003年に実施した共同調査によると、70.4%が「アンブッシュマーケティングはスポーツ組織に投資する企業にとって大きな問題になっている」と答えており、92.6%が「法的手段に訴えることがアンブッシュマーケティングへの有効な対策である」と答えています。

 訴訟大国なので、当然のアンケート結果に見えますが、実は米国でアンブッシャーに対して法的措置に踏み切ったスポンサー企業の数は少ないのです。しかも、訴訟を起こしたケースは商標権の侵害や契約関係の反故など、白黒の判断が明確につくものばかりで、グレーゾーンのアンブッシュマーケティングの合法性を問う訴訟を起こしたケースはほとんどありません。なぜなら、訴訟は両刃の剣であり、逆に「パンドラの箱」を開けてしまう恐れがあるためです。

 米国での事例ではありませんが、スポンサー企業がアンブッシャーのグレーゾーンの活動を訴えたことがあります。全米アイスホッケーリーグ(NHL)とペプシコ・カナダのケースです。

 1990年、ペプシコ・カナダはNHLのチャンピオンシップシリーズ「スタンレー・カップ」に合わせて「プロホッケー・プレーオフ宝くじ」という販促プロモーションを実施しました。「NHL」を「プロホッケー」、「スタンレー・カップ」を「プレーオフ」と微妙に言葉をすり替えることで、スタンレー・カップに便乗した宣伝効果を狙ったわけです。このプロモーションでは、NHLのトレードマークやチームロゴなどを使用する代わりに、出場チームのフランチャイズ都市名と試合数がボトルの蓋の裏に記されており、優勝チームと試合数が当たれば、ホッケー関連グッズがプレゼントされるというものでした。このプロモーションは、スタンレー・カップ中にオンエアされたCMでも、往年の名選手ドン・チェリーを起用したホッケーシーンの中で大々的に告知されることになりました。もちろん、CMはNHLの商標権の侵害などは一切ないように注意深く構成されていました。さらに、「このプロモーションはNHLや所属チームと一切関係ありません」というメッセージまでつけるという念の入れようでした。

 しかし、当時コカ・コーラと公式スポンサー契約を結んでいたNHLは、「ペプシコ・カナダのプロモーションとテレビCMは、あたかもNHLやそのチームと関連しているかのような印象を消費者に与えており、虚偽広告と不正競争による不法行為に当たる」としてペプシコ・カナダを訴えました。これは、北米企業がグレーゾーンにあるアンブッシュ活動を訴えた初めてのケースでした。

 ところが、その判決は、スポーツ組織やスポンサー企業を震撼させるものでした。「虚偽広告や不正競争と呼べるほどの混乱を消費者に与えたとは認められない」としてNHL敗訴を言い渡したのです。「もし、この裁判が米国で起こっていたら…」と青ざめる関係者も多かったかもしれません。

 なぜなら、米国で「アンブッシュマーケティングは合法」との先例ができてしまえば、企業は雪崩を打ってアンブッシュマーケティングに向かう恐れがあったからです。そして、スポンサー企業がアンブッシャーに対する法的措置に二の足を踏むのは、このためにほかなりません。どの企業も、公式スポンサー制度を崩壊に導くパンドラの箱を開けた張本人として、スポーツビジネス史に汚名を残したくないのです。

法律で取り締まれ!

 司法による救済が思うように進まない中、権利を提供するスポーツ組織やイベント開催者も単に手をこまぬいていたわけでもありません。

 IOCは、1997年に「今後オリンピックの開催地として立候補する都市には、オリンピックが開催される1カ月間、その都市内すべての広告媒体を確保することを義務づける」というアナウンスをしました。これを受けて、2002年の米ソルトレークシティー冬季オリンピックでは、オリンピック組織委員会が地元の有力メディアに対して、会場から70マイル(約112キロメートル)圏内にある看板を確保すべく交渉に臨みました。また、2004年のオリンピック開催予定地アテネでは、市が約1000万ドル(約10億円)をかけて市内の広告枠確保に当たることを了承しています。

 こうした動きは、オリンピック以外にも広がっています。2000年のサッカー欧州選手権(EURO2000)において、欧州サッカー連盟(UEFA)の代理店ISLはスタジアムから半径1~3キロメートル以内のすべての広告媒体を買い切り、それをオフィシャルスポンサーのみに提供しました。また、ISLは欧州のすべてのテレビCM枠まで確保したのです。

 さらに、2000年に開催されたシドニーオリンピックは、大会組織委員会が法制化によってアンブッシュマーケティングに対抗した初めての大会となりました。シドニー大会組織委員会は、「証印・肖像法」(Indicia and Images Act)と「オリンピック調整法」(Olympic Arrange Act)という2つの特別立法によって、アンブッシュマーケティングの排斥を図ったのです。

・証印・肖像法(Indicia and Images Act):オリンピックを想起するような宣伝文句を禁止したもので、「オリンピック」などの直接的な表現だけでなく、「Summer Game(夏のゲーム)」「Team Millennium(千年紀のチーム)」「Gold and Silver(金と銀)」などといった間接的にオリンピックを想起させるようなフレーズについても禁止している。

・オリンピック調整法(Olympic Arrange Act):オリンピック会場や、そこにアクセスする主要交通網、あるいは多くの観客が集まる会場以外の場所(大型スクリーンを設置した広場など)といった公共スペースにおいて広告を掲出したり、配布物を用いたアンブッシュマーケティングを禁止する権限を地方自治体に与える。

 広告媒体の買い切りと並んで、こうした法によるアンブッシュマーケティングの防止も一般化してきています。例えば2006年のワールドカップドイツ大会では、公式スポンサーでないビール会社の広告が入ったズボンをはいていた数百人のオランダ人ファンが、スタジアム入場前にズボンを脱ぐように求められました。

2016年、東京がゲリラの主戦場になる?

 今月4日、IOCは2016年夏季五輪の立候補都市を絞り込むために理事会を開催し、東京、シカゴ(米国)、マドリード(スペイン)、リオデジャネイロ(ブラジル)の4都市が第1次選考を通過しました。各都市は、最終的な開催都市を決定する来年10月2日のIOC総会に向け、本格的な招致活動を展開していくことになります。東京も、1964年以来52年ぶり2度目のオリンピック開催を目指しています。

 東京という世界有数の大都市でオリンピックが開催されるともなれば、世界中のアンブッシャーもこの機会を見過ごすはずはありません。その時、果たして、東京オリンピック組織委員会はどこまで実効的な対策を講じることができるのでしょうか? また、日本企業も、株主価値の最大化を至上命題とする欧米企業のように、貪欲に広告効果を狙ったマーケティング活動を展開することができるのでしょうか? 金メダルを賭けた選手の熱い戦いと同様に、水面下で繰り広げられる企業の戦いに目が離せません。

コラムの最近記事

  1. ZOZO球団構想を球界改革の機会に

  2. 東京五輪を“レガシー詐欺”にしないために

  3. 米最高裁がスポーツ賭博を解禁

  4. 運動施設の命名権、米国より収益性が低い訳は?

  5. 米国で急拡大、ユーススポーツビジネスの不安

関連記事

PAGE TOP