このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです
マイナーリーグベースボールが主催する「プロモーションセミナー」が、10月初旬にテキサス州オースティンで開催されました。2泊3日のイベントに、全米各地のマイナー球団から約350人の幹部が参加しました。1977年に始まったこのセミナーは、毎年、野球シーズンが終了した直後に開催され、シーズン中に球団が展開した成功事例、いわゆる「ベストプラクティス」が披露されます。
2000年まではテキサス州エルパソで開催されていましたが、2001年より各地方都市にフランチャイズを置くマイナー球団が持ち回りでホストを務めるようになりました。今年はオースティンに近いラウンドロックにフランチャイズを置く、ヒューストン・アストロズ傘下のトリプルA球団、ラウンドロック・エクスプレスが主催しました。このセミナー自体、プロスポーツリーグが主導するナレッジマネジメント(知識共有化)の手法として面白いのですが、今回は地方自治体とスポーツの関係にフォーカスしてみたいと思います。
実は、このセミナーに協賛している組織を見てみると、「オースティン・スポーツコミッション」という団体があることに気がつきます。スポーツコミッションとは、まだ日本にはあまり馴染みのない組織ですが、ひとことで言えば、スポーツを通じた地域振興を目指す組織です。米国では、多くの場合、州や都市で自治体の外郭団体として設立されており、非営利組織(NPO)の形態を採用しているところも少なくありません。
今年7月に、日本でもようやく同じような動きが始まろうとしています。スポーツ振興を都市戦略として位置づけている東京都が、日本初となるスポーツコミッションの設立を検討し始めたのです。
「何もない町」が注目都市に
米国で初めてスポーツコミッションを設立したのはインディアナ州インディアナポリスで、1979年のことでした。インディアナポリスは、今でも人口約80万人の典型的な米国の地方都市です。現在の日本で言えば、新潟市(新潟県)や浜松市(静岡県)といったイメージでしょうか。
また、インディアナポリスと言えば、自動車レース「インディ500」が有名です。「モナコGP」「ル・マン24時間レース」と並ぶ“世界3大レース”の1つで、1911年にスタートしました。そして、スポーツコミッションが設立された1979年当時、インディアナポリスはインディ500以外は何もない街と言っても過言ではありませんでした。「Indianapolis」のスペルをもじって、「India-no-place(何もない街インディアナ)」と揶揄されたくらいです。
そのため、同市は全米都市の中でもいち早くスポーツを経済復興・地域活性化のツールと位置づけた戦略を策定し、「スポーツ産業都市」を標榜していったのです。全米初のスポーツコミッション、「インディアナ・スポーツ・コーポレーション」(ISC)を設立すると、スポーツ組織やスポーツイベントの招致に積極果敢に打って出ることになります。
ISCの設立以来、インディアナポリスでは400を超える国内・国際スポーツ大会が開催され、その経済効果は現在までに累計で20億ドル(約2000億円)を超えると試算されています。こうしたイベントでは、観客の約7割が市外から訪れ、大きな経済効果をもたらしています。また、イベントばかりでなく、スポーツ組織の本社の招致も積極的に進めており、全米陸上連盟や全米体操連盟を筆頭に、20以上のスポーツ統括団体がインディアナポリスに本部を置いています。
プロスポーツを見ても、全米フットボールリーグ(NFL)のインディアナポリス・コルツや、全米バスケットボール協会(NBA)のインディアナ・ペイサーズがフランチャイズを構えています。特に、もともとメリーランド州バルチモアにフランチャイズを置いていたコルツの誘致は、同市の悲願の1つでもありました。
当時バルチモア・コルツは、施設の老朽化により本拠地移転を検討していました。これに対して、インディアナポリスのほか、アリゾナ州フェニックスも招致先として手を上げたため、コルツ争奪戦は引き留め工作を図るバルチモア市を含めた3都市の壮絶な戦いとなっていきます。
結局、1984年に最も良い条件を提示したインディアナポリスが移転先として正式に決定することになりました。しかし、バルチモアがこの移転を無効とする訴えを起こしたため、最終的には移転は認められたものの、交換条件としてインディアナポリスはバルチモアに新チーム誘致の支援をすることになります。実際に、1996年、インディアナの支援を受けて、バルチモア・レイブンズが誕生することになります。
このように、訴訟をも恐れぬ積極的な努力の結果、かつては「何もない街」と蔑まれたインディアナポリスは、今では「スポーツキャピタル(スポーツの都)」と称賛されているのです。
観光案内所からの脱皮
インディアナポリスの成功によって、スポーツは地方再生の有効な手段として認識されるようになります。そして、多くの地方自治体がスポーツコミッションを設立し、現在では全米に150を数えるまでになりました。
冒頭でお伝えしたオースティン・スポーツコミッションもその1つで、2005年にオースティン市観光コンベンション局(Austin Convention & Visitors Bureau)の外郭団体として組織されました。オースティンのホテル宿泊税を活動の財源とする非営利組織(NPO)で、3人の職員がいます。設立当時から代表を務めるマシュー・ペイン氏は、設立の経緯を次のように振り返ります。
「組織を立ち上げる10年も前から、オースティンには『スポーツで地域振興しよう』という考え方があったんです。スポーツ振興課もありましたしね。だけど、単なる観光案内で終わっていた。そこで、もっと積極的にスポーツを活用しようと考えて、スポーツコミッションの設立に踏み切ったわけです」
オースティンに新しいイベントを招致し、既存のイベントはより盛り上げるように支援する――。当初こそ、会場やホテル、移動手段の手配、観光情報の提供程度で終わっていました。しかし、今ではイベントへの出資、集客戦略のアドバイス、スポンサー候補企業の紹介など、マーケティングアドバイザーとして積極的にイベントに関与するようになっています。冒頭のマイナーリーグのセミナーにスポンサーとして関わっているのも、その一例というわけです。
自治体の外郭団体と聞くと、日本では「天下りの温床」とか、「税金の無駄遣い」といったイメージが付きまといます。確かに、米国でも「コスト意識に欠ける役人にビジネスをやらせるとロクなことはない」という声はあります。それだけに、職員の人選が重要になるのです。特に、マーケティングの助言が必要なため、その道の専門家が求められています。
オースティンのケースでも、その点には抜かりがありませんでした。ペイン氏は、地元テキサス大学でスポーツ経営学を学んだ後、全米アイスホッケー協会(NHL)のマイナー組織であるCHLに所属するオースティン・アイスバッツに勤務した経歴を持っています。スポーツコミッションの代表には打ってつけの人材と言えるでしょう。
マイナースポーツと都市の新たな可能性
このように、米国の地方自治体はスポーツコミッションというマーケティング専門組織を設置することによって、スポーツを戦略的に地域振興のツールとして活用しています。そして、自治体はマイナースポーツを取り込むなど、強い関係を築きながら、地方発展に役立てています。実は、メジャーリーグなど、スポーツのトップリーグは、原則として自治体によるチームの所有が禁止されています。そこで、自治体はマイナースポーツとの多様な関係を模索してきた歴史があります。
次回のコラムでは、自治体や市民によるチーム所有など、地方発展にどうスポーツが役立っているのか、その新たな関係について見ていきたいと思います。
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