このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです
2月に入り、日本のプロ野球選手たちは春季キャンプで汗を流し始めました。4月のシーズン開幕に備え、多くの球団が宮崎県や沖縄県などにキャンプを張っています。暖かい地で、選手たちは、半年以上続くシーズンを戦い抜く体力作りと、実戦感覚を取り戻すために練習に励んでいます。
毎年この季節に見られる「風物詩」ですが、今年のキャンプはある異変が起こっています。例年に比べ、多くのファンがキャンプ見学に押しかけているのです。そのお目当ては今年3月から開幕するワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に出場する日本代表チームの代表候補選手たち。王貞治監督率いる日本代表チームが、3年前の第1回WBCで初代チャンピオンに輝いたのは記憶に新しいところです。そこで、各チームの代表候補選手の仕上がり具合を、期待を持って見守っているわけです。
当然ながら、代表チームのキャンプは大盛況となっています。悪天候や強風などの悪条件にもかかわらず、最初の4日間の練習に17万人もの野球ファンが集まりました。24日夜に放送された強化試合、日本対オーストラリアの平均視聴率は20.8%、瞬間最高視聴率は27.4%(ビデオリサーチ社調べ)にものぼりました。
日本中の注目を集めるWBC――。しかし、その生い立ちには根深い問題が潜んでいます。果たして、WBCは閉塞感が漂う野球界の救世主となれるのでしょうか?
米国のリーグと選手会が牛耳る大会
WBCは誰のための大会なのか。
野球の世界一を決める大会は、米大リーグ機構(MLB)の発案によって始まっています。MLBが世界大会を発足させようとした動機は、国内市場の飽和にありました。国際市場開拓の必要性を痛感し、オリンピックに代わる“真の世界一”を決定する国際大会を作ろうとしたわけです。
野球が盛んな米国が国際大会を発案することは、ごく自然な流れだと言えるでしょう。しかし、一国が国際大会を掌握してしまったらどうなるでしょうか。
表:WBC運営委員会の構成
所属組織 | 人数 |
---|---|
MLB機構 | 2名 |
MLB選手会 | 2名 |
国際野球連盟(IBAF) | 2名 |
日本野球機構 | 1名 |
日本プロ野球選手会 | 1名 |
韓国野球委員会 | 1名 |
韓国プロ野球選手会 | 1名 |
読売新聞 | 1名 |
Chelsea Piers, L.P. | 1名 |
事実、WBCは米国主導の大会となっています。MLBとMLB選手会が共同出資して「ワールド・ベースボール・クラシック株式会社」(World Baseball Classic, Inc.)を設立し、WBCの大会運営主体として関与しています。
参加国の決定など、WBC大会運営において主導的な役割を担う「WBC運営委員会」(WBC Steering Committee)では、12人のメンバーのうち、その1/3に当たる4名がMLB関係者で占められています(詳細は右表参照)。読売新聞関係者が入っているのは、同社がアジア地区予選の興行権を持っているからです。
当初、日本と韓国は「MLB主導」に反対していました。日本は国際野球連盟(IBAF)のような国際機関が主催することを主張し、IBAFも加盟113カ国すべてに参加資格が与えられることを望んでいました。しかし、MLBは国際機関に主導権を渡すことを拒否したのです。第1回大会開催の1年半前、MLBのCOO(最高執行責任者)ボブ・デュパイ氏は米ウォールストリート・ジャーナル紙の取材に次のように答えています。
「MLB機構とMLB選手会は、IBAFと協力しながら大会を運営することで合意したが、あくまでも大会運営を主導するのは我々(MLB機構とMLB選手会)である。もしIBAFやその他の第三者機関が大会を主導するのであれば、我々は大会に参加しないだろう。恐らく、大会に参加する選手の3分の2以上はメジャーリーガーになるため、MLB機構とMLB選手会には第1回大会開催に際し、非常に大きな利害関係がある」
こうして、MLBに強引に押し切られて、米国主導のWBC開催が決まったわけです。2005年6月、MLBは日本や韓国、中国、キューバ、ドミニカ、ベネズエラなど合計16カ国を招待することを正式に発表しました。皮肉だったのは、この1カ月後に国際オリンピック委員会(IOC)が2012年のロンドン五輪から野球を正式種目から除外する決定をしたことでした。
なぜオリンピックではなくWBCなのか?
「世界一を決めるのなら、オリンピックでもいいじゃないか?」という声も当然ありました。しかし、MLB選手がオリンピックに出場することはできません。MLBは自らが主催しない大会に選手が出場することを禁じているからです。イチロー選手や松坂大輔選手ら日本人メジャーリーガーが北京オリンピックで日本代表チームのユニフォームを着ることができなかったのは、このためです。
では、なぜMLBは選手のオリンピック参加を禁じているのでしょうか?
それは、営利目的のビジネスに徹しているからです。米国の企業経営者と同様に、リーグや球団の経営者は、株主に最大の利益をもたらす責務を負います。リーグ経営のCEO(最高経営責任者)に当たるコミッショナーには、常にリーグ価値の最大化が求められていますし、球団オーナーは収益を増加させ続けなければなりません。
オリンピックは、各国のトップアスリートが競い合う場を設けて巨額の富を生み出しているわけですから、米国の球団経営者は、選手派遣に対する対価や、故障した際の補償をIOCに求めるのが当然だと考えています。しかし、IOCはプロ選手のオリンピック参加を解禁していますが、参加選手に対して報酬を払うことはありません。MLBにとっては、選手のオリンピック派遣は自らのスター選手を無償でIOCの収益活動に貸し出すようなものであり、認められないと判断しています。
ちなみに、WBCの大会運営で上がった利益については、その47%が賞金に、残りの53%が各国の野球組織に分配されます。賞金47%の内訳は、優勝チームが10%、準優勝チームが7%、準決勝敗退2チームが各5%、2次リーグ敗退4チームが各3%、1次リーグ敗退8チームが各1%となります。各国野球組織への分配金については、米国35%(これをMLB機構と選手会が折半)、日本7%、韓国5%、IBAF5%となっています。米国の取り分が突出しているのは、「赤字が出た際はMLBが全額を負担するため」という理由からです。
米スポーツビジネスジャーナル誌によると、第1回大会では約780万ドル(約7億円)の賞金が配分されており1大会全体として1660万ドル(約15億円)の利益が出た計算となります。つまり、優勝した日本が手にした取り分はこの17%(優勝賞金10%+分配金7%)に当たる約282万ドル(約2億5400万円)、2次リーグで敗退した米国が手にした取り分はこの38%(賞金3%+分配金35%)に当たる約631万ドル(約5億6800万円)となります。
こうして、MLBは選手派遣の機会損失すら穴埋めできないオリンピックの代わりに、投資効率の高いWBCというイベントを立ち上げたわけです。
出場辞退の裏にあるマネー至上主義
MLB主導で船出したWBCですが、足並みの乱れが続いています。各国代表チームに辞退者が続出しているのです。しかも、主導するMLBの選手たちが不参加を表明するケースが目立ちます。
例えば、日本代表チームでも、ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜選手や、ロサンゼルス・ドジャースの黒田博樹投手、ボストン・レッドソックスの斎藤隆投手らが出場辞退を表明しています。参加可否は基本的に選手に任されていますが、第2回大会から新設された規定により、(1)過去2シーズンで故障者リスト(DL)に90日以上登録、(2)昨シーズンDLに45日以上登録、(3)今オフに手術を受けた、あるいは今後受ける予定、という3項目に当てはまる選手は、所属球団の承認がなければ出場できなくなりました。怪我に対する補償がない分、そのリスクを判断する権利をチームに与えた格好です。
これにより、左ひざ痛で50日以上DL入りし、昨年9月に左ひざの内視鏡手術を受けた松井選手はチームが出場を認めませんでした。ドジャースに在籍していた昨年7月に右ひじのじん帯部分断裂で約2カ月戦列を離れた斎藤投手も、故障再発を避けたい移籍先のボストン・レッドソックスとの話し合いの結果、出場辞退を表明しました。黒田投手も昨季は右肩痛で6月下旬から一時戦列を離れたため、レギュラーシーズンへの調整を優先する考えのようです。
球団の思惑が、選手の不参加につながる例は、MLBだけではありません。中日の4選手全員が、理由を明らかにしないまま出場辞退を申し出て波紋を呼びました。中日は公式シーズン中から選手の故障情報を伏せているので、この一環とも考えられます。しかし、昨年の北京オリンピックで所属選手を酷使されたことから、代表チームへの派遣を見送ったのではないか、と噂されています。また、親会社である中日新聞の影も見えます。ライバルの読売新聞がWBCのアジア予選を主催しているために協力しないのではないか、という憶測も呼びました。
また、チーム事情だけでなく、個人の思惑で出場を辞退する選手も少なくありません。特に、新チームでシーズンを迎える移籍直後の選手や、レギュラー争いにしのぎを削っている選手にこの傾向は強いようです。例えば、オフにヤンキースが大金をはたいて獲得したC・C・サバシアとA・J・バーネットは、「チームに慣れることを優先したい」という理由で辞退しています。年俸と期待が大きいだけに、ほとんどカネに結びつかないWBCに出ている場合ではないのでしょう。
選手が置かれたチーム内の立場(チーム内の競争状態)によって出場が左右されているわけです。「イチロー選手がWBCに集中できるのは、シアトル・マリナーズでの傑出した実績ゆえにポジションが確約されているうえ、近年のチーム低迷によりレギュラーシーズンに期待できないためだろう」などと穿った見方も出ています。
こうした「出場辞退問題」が続出するのは、レギュラーシーズンとWBCの優先順位が定まっていないためです。そして、これは日米をはじめとする世界の野球界が、他国の野球リーグとの共存共栄を念頭に置かない「閉鎖型モデル」を築いていることが背景にあります。
次回は、野球界の国際発展を阻害する根源のシステムについて解説したいと思います。
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