1. コラム

世界最大エアラインを引きつけたVIP獲得戦略

このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです

 前回では、新ヤンキースタジアムが、クラブシートを急増させた狙いを解説しました。富裕層を狙い撃ちにしたスイートボックスやクラブシートといった高収益座席(プレミアムシート)によって、増収を図っているわけです。同時に、座席や通路の幅を広げたり、チームショップや飲食店、トイレなどを大幅に増設したりして、顧客満足度を高め、リピーターを増やす戦略を取っています。

 この球団戦略に、巨額のカネを払ってパートナーになったのが世界最大エアライン、デルタ航空でした。昨年10月にノースウエスト航空と合併したことで、売上高177億ドル(約1兆7700億円)となって世界のトップに立ちました。そのデルタ航空は、新ヤンキースタジアムに設置された8種類のクラブシートのうち、最高級グレードの座席エリアの命名権を取得したのです。そして開幕戦で、関係者やメディアを集めて「デルタSKY 360°スイート」にて観戦パーティーを開催したのは、前回紹介した通りです。

デルタ航空は、同じく今年オープンしたニューヨーク・メッツの新スタジアム「シティ・フィールド」でも、クラブシートの命名権を取得しています。実は、ヤンキースタジアムのパーティーの3日後、全く同じような観戦パーティーを、シティ・フィールドでも開きました。広さ2090平方メートルにも及ぶ豪華なラウンジ「デルタSKY360クラブ」では、メッツのマスコット人形「Mr. Met」も登場して、大いに盛り上がりました。

シティ・フィールドの観戦パーティーに登場した「Mr. Met」(著者撮影)

 しかし、デルタ航空は、2005年9月には経営が破綻し、連邦破産法11条(チャプターイレブン)を申請しています。やっと2007年5月に、破産法から抜け出したばかりなのです。しかも、深刻な不況が続く中で、多くの企業は広告宣伝費を削減しています。なぜ“病み上がり”のデルタ航空が、ニューヨークにある2つの「巨大ブランド球場」に投資するという大胆な決断を下したのでしょうか?

「ニューヨークのビジネス客を取り込め」

 世界の航空業界は、1990年代の航空自由化と格安航空会社の誕生で競争が激化し、コスト削減、経営の効率化を迫られました。そこに2001年9月11日のテロによる乗客の減少や保険料の上昇が加わり、さらに厳しい経営環境に追い込まれたのです。実際、米航空業界は、2005年までに大手7社のうち4社が経営破綻する事態に陥りました。

 昨年合併したデルタ航空とノースウエスト航空は、両社とも2005年9月に日本の民事再生法に当たる連邦破産法11条を申請しています。その後、経営再建を果たしたものの、原油高や景気後退によって、経営環境は厳しさを増すばかりでした。そこで、単独での生き残りは難しいと判断し、合併を決断したと言われています。

 儲からない国内線は不採算路線を縮小する一方、利益率の高い国際線をいかに拡大するかが勝負の分かれ目です。デルタ航空も、国内線ではローカルの不採算路線を削減し、一方でニューヨーク発着便を積極的に増やしています。過去5年間で70%も増便しており、現在ではニューヨーク市にある2空港(JFK国際空港、ラガーディア国際空港)から最も多くの便を運航する航空会社となりました。

 国際線では、今年6月4日から新たに東京-ニューヨーク便を就航させます。世界のビジネスの中心地を「ハブ空港」とすることは、採算上で大きな利点があります。ビジネス客は、格安航空券の3~5倍する正規価格で航空券を購入する傾向があります。従って、航空券収入の約4割をビジネス客で稼いでいると言われています。デルタ航空は、ニューヨークのビジネスマンや富裕層を獲得することが、至上命題なわけです。

富裕層を引きつける魅惑の空間

 「ニューヨークでビジネス客を囲い込む」

 このデルタ航空の基本戦略を念頭に置くと、不況の中でもあえてヤンキース、メッツ両チームとスポンサーシップ契約を結んだ意図が理解できます。同社は、新スタジアムのクラブシートを基点に、新規客の開拓と既存客の満足度向上を、同時に展開することを目論んでいるのです。

 実は、両スタジアムでのクラブシートには、次のような隠れたミッションが存在します。

 「真似できないデルタ体験(Exclusive Delta Experience)を提供する」

 クラブシート客が利用するレストランやラウンジは、同社が空港に設置しているファーストクラス・ラウンジをイメージして作っています。バーカウンターでも、「デルタ・シグニチャー・ドリンク」として3種類のデルタ名物のカクテルが用意されています。空港ラウンジや機内の最高レベルのサービスを、そのまま球場で堪能してもらおう、というわけです。

 クラブシートの利用客の中でも、野球観戦に没頭するような人は少数派と言ってもいいでしょう。むしろ、バーでくつろいでいるような人が多いのです。富裕層が中心なので、商談後の接待で用いる人も少なくありません。こうした顧客層は、デルタ航空が狙いを定めているターゲットとマッチします。つまり、クラブシートを、新規顧客獲得のための「サンプリング調査」の場として用いようと目論んでいます。

 一方、両スタジアムで開催した「VIPビューイング・パーティー」には、マイレージクラブの上級会員も招待されていました。恐らく、マイレージ会員の特典として、新スタジアムでの試合観戦を提供することも視野に入れているのではないでしょうか。「いつもご利用ありがとうございます」「今後もデルタ航空を利用してもらえれば、このような豪華な特典をお楽しみいただけます」というメッセージを、優良顧客に伝える機会にするわけです。

 米国のビジネスマンなら、かなり高い頻度でニューヨーク出張があるでしょう。その際、同僚やクライアントと一緒に、話題の新スタジアムで豪華な野球観戦ができるとなれば、顧客はこぞってデルタ航空を利用するはずです。こうして高収益の既存ビジネス顧客の囲い込みを行うというわけです。

 ヤンキースタジアムやシティ・フィールドからJFK国際空港、ラガーディア国際空港までならタクシーで30分前後です。ナイター観戦後、日帰りで帰途に就くことも可能でしょう。スタジアムの立地条件の良さも、魅力の1つとなっています。

球団がクライアントに新たな経営手法を提案する

 日本では、「スポンサーシップ」や「命名権」と聞くと、単にスタジアムの中に看板を出したり、施設の名前を購入するなど、社名の露出に重点を置いた販促手法を思い浮かべる人が多いかもしれません。そんな効果ももちろんありますが、米国ではそのためだけにカネを出すような企業はもうほとんどありません。

 米国では「スポンサーシップ」は、企業が抱える経営課題に対してソリューション(解決法)を提供するツールとして認識されています。ここ数年、スポーツ関係者の間で、「アクティベーション(活性化、有効活用)」という言葉が流行っています。社名の露出だけでなく、顧客獲得に向けたより効果的なシカケを提示しなければ、企業は多額のカネを注ぎ込んでくれない時代になっているのです。

 デルタ航空のクラブシートも、単なる社名の宣伝では終わっていません。「ニューヨークのビジネス顧客を取り込む」という同社の経営課題に対して、「真似できないデルタ体験を提供する」というソリューションを提示しています。魅力的なクラブシートを使ってもらうことで、空港や機内のサービスを疑似体験してもらい、新しい富裕層を取り込む。さらには、既存の上級顧客の満足度を高め、つなぎ止める効果も発揮する…。VIPパーティーを開催するのも「アクティベーション」の一環です。

 デルタ航空のニューヨーク重点戦略にとって、ヤンキース、メッツは欠かすことのできないパートナーとなっているわけです。それは、クラブシートに限りません。

 「デルタ・バッティングチャレンジ」。そう名づけられたチャリティーキャンペーンが今シーズンから始まります。これは、ヤンキースの人気選手、デレク・ジーター選手と、同じくメッツの看板打者、デイビッド・ライト選手が互いに打率を競い合うというもの。最終打率の高い選手の支援財団にデルタ航空が10万ドル(約1000万円)、低い選手の支援財団に5万ドル(約500万円)を寄付するという内容です。

ジーター選手とライト選手 (写真:デルタ航空)

 両選手は、チャリティー活動に熱心なことで知られています。ジーター選手は麻薬やアルコールから若者を救い、健康的なライフスタイルに更生(Turn To)させる様々な取り組みを行う「ターン・ツー財団」を支援しています。ライト選手は、子供たちの健康や教育を支援する活動を行う「デイビッド・ライト財団」を持っています。

 こうしたキャンペーンによって、少なくともニューヨーク地区でデルタ航空の認知度をさりげなく高める効果が期待できるでしょう。スーパースターの2人が競うキャンペーンを実施することで、長いシーズンにわたって野球ファンから注目されるわけです。

 このように、米国では単なる社名露出の域を超えたスポンサーシップの有効活用が進められています。球団が投資効果を高めるために、スポンサー企業とコミュニケーションを密にして、知恵を絞っているわけです。

 クライアントの経営課題を解決するような、創造的なソリューションを提示できなければ、球団はスポンサーシップによって大きな収益を上げることはできません。逆に言えば、デルタ航空のような厳しい経営環境にある企業が、巨額のカネを投じるぐらいの魅力的な経営ツールを提供することこそ、球団がこの未曽有の不況を乗り切る道なのでしょう。単なる「権利の提供者」ではなく、「コンサルタント」としての能力が問われる――。米スポーツ球団では、新しい販促手法を編み出す不断の努力が続いています。

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