1. コラム

リーグが怯えるチャプター11という裏技

このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです

 最近、日本でもニュースなどで「チャプター11(イレブン)」という言葉を耳にする機会が増えていると思います。正式には「米連邦破産法11条」と呼ばれるこの法律は、会社の再生を目的としたもので、日本の民事再生法に近いイメージです。原則として、事業を停止することなく会社の再建を図ることに主眼が置かれており、この点で同じ連邦破産法でも会社を清算することが前提となる7条(いわゆる「チャプター7(セブン)」)とは異なります。ちなみに、こちらは日本で言えば破産法に相当するイメージでしょう。

 米ゼネラル・モーターズ(GM)やクライスラーの例を見ても分かるように、チャプター11の申請は会社再建プロセスでは非常に一般的な手続きと言えるでしょう。前回のコラム「世界最大エアラインを引きつけたVIP獲得戦略 クラブシートの魔力(下)」でも触れましたが、米航空業界などは一時大手7社のうち5社が経営破たんしてチャプター11の適用を申請するという事態に陥っていました。

 チャプター11の申請は、米スポーツビジネス界にとってもそれほど珍しいことではありません。実は、今年5月5日に北米アイスホッケーリーグ(NHL)に所属するフェニックス・コヨーテスがチャプター11を申請し、経営破たんしました。これ自体、NHL機構はおろか、チーム職員にも寝耳に水の発表だったそうですが、関係者をもっと驚かせたのは、破たん後のチーム買収に基本合意している人物の名前でした。

 売却先が決まることはいいニュースのはずです。しかし、その名はジム・バルシリー氏。携帯端末「ブラックベリー」を開発するリサーチ・イン・モーションの共同経営者で、億万長者としても知られるカナダ人です。そして彼は、NHL関係者が顔も見たくないと思うほどの過去を持つ人物だったのです。従ってNHLはこの売却を認めず、米ナショナル・フットボールリーグ(NFL)や米大リーグ機構(MLB)、米プロバスケットボール協会(NBA)もこの売却に反対する共同声明を発表しており、コヨーテスのチャプター11申請は、米4大メジャースポーツリーグを巻き込んだ大騒動に発展しています。

 灼熱の地アリゾナに生まれたアイスホッケーチームに、一体何が起こったのでしょうか?

“ホッケー不毛の地”でチームを設立した悲劇

 コヨーテスはもともとNHLの競合リーグとして1972年に設立されたワールド・ホッケー・アソシエーション(WHA)に所属するカナダ中部の都市ウィニペグに本拠地を置くチームでした。コヨーテスの前身、ウィニペグ・ジェッツはWHAがNHLに吸収合併された1979年後もそのままウィニペグに残ることになりました。

 しかし、1970年代以降、もともとカナダのチームを中心に組織されていたNHLが次々にエクスパンション(新規チームの参入)を実施して米国マーケットを開拓する拡大路線を取り、経営基盤を拡大していくようになると、商圏の狭いウィニペグでは高騰する選手獲得費用を捻出するだけの十分な売り上げを上げることができなくなりました。結局、ウィニペグ・ジェッツは1996年を最後のシーズンに売却されることになり、アリゾナ州フェニックスに移転することになります。

 ジェッツを購入したのは、フェニックスのビジネスマンのスティーブン・グラックスターン氏とリチャード・バーク氏が率いる投資家グループでした。公募によって新たなチーム名が「フェニックス・コヨーテス」となった当初、チームは同じくフェニックスに本拠地を置くNBAフェニックス・サンズのアリーナを共同利用します。しかし、アイスホッケー用に設計されていなかったアリーナでは、リンク設営のための床面積が足りず、急遽座席数を減らして間に合わせざるを得ないといったドタバタ劇を演じてしまいました。

 何とか移転を成功させたコヨーテスでしたが、そもそもフェニックスがアイスホッケーに馴染みのない灼熱の地であったことに加え、移転後もチームの成績がパッとしなかったことなどから、観客動員は伸び悩みます。おまけに、コヨーテスがアリーナの営業権を持たなかったことから、スイートボックスなどのプレミアムシート(高収益席)からの収益を得られない構造的なジレンマを抱えており、結局2001年に不動産業で財を成したスティーブ・エルマン氏に売却されました。

 起死回生を狙ったエルマン氏は、フェニックスの西隣の街グレンデールにその本拠地を移す決断を下します。グレンデールはフェニックスから西に10マイル(約16キロメートル)ほど離れており、フェニックスへの西の玄関口と言えるロケーションでした。エルマン氏はこのプロジェクトを「ウエスト・ゲート(西の門)」と名づけ、単なる新アリーナの建設だけにとどまらない壮大な多目的複合施設建設プロジェクトを、自らが代表取締役を務める不動産会社の下で発足させました。

 このプロジェクトは、コヨーテスの新アリーナとNFLの新スタジアム(2006年にオープンした「ユニバーシティー・オブ・フェニックス・スタジアム」)を中心に、その周辺の650万平方フィート(約60万平方メートル)にも及ぶ広大な敷地に、高級レストランやバー、劇場、高級マンション、オフィススペース、ホテル、ショップなどのテナントを招致した一大エンターテインメント地区としての機能を作り出す壮大な都市計画でした。しかし、それほどの大きな計画にもかかわらず、新アリーナ移転後も観客動員は伸び悩み、失意のエルマン氏は2005年、運送会社の経営で財を成しMLBアリゾナ・ダイヤモンドバックスやNBAフェニックス・サンズのオーナーでもあるジェリー・モイズ氏にチームを売却しました。

 こうして、“アイスホッケー不毛の地”に誕生したコヨーテスは、次々に別のオーナーに“たらい回し”にされていきました。

契約直前→撤回の連続

 2005年からコヨーテスを保有するモイズ氏は、実は2001年から同チームの少数比率オーナーとしてチーム経営に関与していました。ダイヤモンドバックスやサンズのオーナーとしても球団経営の経験豊富なモイズ氏でしたが、コヨーテスの恒常的な赤字体質を変えることはできず、チームを黒字転換することができませんでした。そして、今年5月5日、冒頭でもお伝えしたようにチャプター11を申請し、破綻申請したのでした。

 破綻申請時に、チームの買い手が見つかったのは“不幸中の幸い”のはずでしたが、問題が発生します。チーム買収に手を挙げていたジム・バルシリー氏は、NHLから見れば“前科者”だったのです。実は、このバルシリー氏は過去に2度NHLのチーム買収を試みたことがありました。

 最初は2006年のことでした。バルシリー氏は、買い手を探していたNHLピッツバーグ・ペンギンズを1億7500万ドル(約175億円)で買収することに基本合意します。買収に際しては、1つだけ条件がつけられました。チームを移転しないことです。実はピッツバーグには新アリーナ建設計画があり、自治体から多額の税金がつぎ込まれることが決まっていました。今さらそれを白紙撤回することはできないからです。

 バルシリー氏はその条件をのみ、NHL機構の幹部ミーティングに最終合意のサインをするために姿を現しました。しかし、そこでの氏の言動に、NHL幹部は肝をつぶすことになります。誰もが笑顔での調印を思い描いていたその場で、氏はあろうことか移転を認めない条件を拒否したばかりか、もしそれが嫌ならNHLがチームを買い戻せと言ってのけたのです。もちろん、チーム買収は破談になりました。

 翌年、バルシリー氏は性懲りもなく別のチーム買収に手を伸ばします。今度は、ナッシュビル・プレデターズでした。プレデターズのオーナーは、一定期間チームを移転させないことを条件にバルシリー氏にチーム売却の話を進めており、氏もこれに同意していました。しかし、チーム売却に基本合意した直後に、カナダのオンタリオ州ハミルトン市との間に同氏がチーム移転契約を結んでいることが判明し、結局この買収劇もご破算になっています。

 このように、1度ならず2度までもチームをカナダに移転させようとするハーバード大卒MBA(経営学修士)の億万長者の手段を選ばないやり方に、NHLの不信感はピークに達していました。

“抜け穴”になるチャプター11申請

 寝耳に水のコヨーテスのチャプター11申請に際し、チームの買い手としてバルシリー氏の名前が挙がっていることを知ったNHL幹部は、きっと悪い夢を見ているのだと思ったことでしょう。しかも、今回は今までで最悪の悪夢でした。なぜなら、チャプター11申請中のチーム売買については、リーグ機構の審査が及ばない可能性があるからです。

 通常のチーム売買では、リーグ機構による最終承認が必要となります。つまり、チームの売り手と買い手の当事者だけが合意しても、チーム売買は成立しないのです。どのプロスポーツリーグも、こうしたチーム売買のプロセスや、オーナーに求められる資格要件を記した「オーナーシップルール」を持っています。

 しかし、チャプター11申請下の状況では、連邦破産裁判所が「債権者利益の最大化」という原則からチームの資産整理を行うため、チーム買収に最高額を提示さえすれば、どんなにいわくつきの人物であろうと、リーグ機構からの審査を受けずにチームを購入できる可能性があるのです。もしバルシリー氏へのチーム売却が認められてしまえば、「破産法を申請すればリーグの許可を受けずにチーム移転ができる」という悪しき前例になってしまうのです。

 しかし、これはリーグ経営にとっては由々しき事態です。リーグ経営には、他チームとのフランチャイズの競合状況や、協賛企業や自治体といったステークホルダーとの信頼関係など、複雑な要素が絡んでいます。バルシリー氏が移転を検討しているハミルトン市(カナダ・オンタリオ州)のわずか70キロ北にはトロント・メイプルリーフスがプレーしています。また、コヨーテスが2003年からプレーする「Jobing.comアリーナ」の建設費2億2000万ドル(約220億円)のうち1億8000万ドル(約180億円)は地元グレンデール市が捻出しており、これを今後のアリーナ運営の利益で回収しようと計画しています。アリーナ命名権を持つ転職サイト「Jobing.com」の10年総額2500万ドル(約25億円)の命名権契約は2006年から開始されたばかりです。

 リーグ経営全体への影響を考えず、1チームの都合だけでチーム移転が決められてしまえば、リーグの信頼は地に落ち、長期的にリーグ経営の安定性を阻害することにもなりかねません。そのため、NHLはこれを全力で阻止する構えを見せており、現オーナーのモイズ氏からチームの経営権を剥奪し、チャプター11申請の無効を主張しています。NBA、NFL、MLBもNHLを支援する共同声明を発表しています。

 連邦破産裁判所によるチーム売買に関する審理は6月22日に行われる予定です。次回のコラムでは、その審理を受けてチーム売却劇がどのように進展するのかをお伝えします。

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