このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです
前回のコラムでは、観客動員数やテレビ視聴率、チーム資産価値などいずれの指標においても最強スポーツ組織と言われる、米プロフットボールリーグ(NFL)の危機について書きました。NFLは大リーグ(MLB)など他のプロスポーツを、ビジネスモデルという観点で大きく引き離しているのに、なぜ、こうした事態に陥ってしまったのでしょうか。その真相を探っていきたいと思います。
事の発端は、リーグ機構が、選手会と取り決めた労使協定を「早期離脱(オプトアウト)」することを決めたことにあります。これにより2010年3月までに新労使協定が締結されなければ、2011年にサラリーキャップが消滅する決まりになっているためです。
しかし、サラリーキャップといえば、NFLのリーグとチーム、選手が共存共栄するための重要な制度に他なりません。それなのに、NFLは、なぜ屋台骨が揺らぐリスクを犯してまで、サラリーキャップ制度をなくすという選択肢を考慮したのでしょうか? NFLは何を守ろうとしているのでしょうか?
年俸制限、サラリーキャップの必然性
話の核心に入る前に、簡単にサラリーキャップ制度が生まれた背景についておさらいしておくことにします。
サラリーキャップ制度の導入は、フリーエージェント(FA)制度の出現と密接に関係しています。フリーエージェント制度とは、一定の資格要件(例えば、MLBなら6年の一軍登録)を満たした選手に、他チームと自由に契約交渉を行う権利を与えるというものです。有力選手の場合、複数チームから契約のオファーが来るため、選手獲得競争はマネーゲームと化し、その結果として年俸が跳ね上がることになります。
FA制度が導入されるまでは、選手は別名“奴隷条項”とも呼ばれる保留条項(Reserve Clause)によって、球団に拘束されていました。保留条項とは、球団が契約した選手に対して、契約期間内に他球団でプレーすることを禁止するというもので、簡単に言えば転職を禁止するものです。球団は、毎年シーズンが終わると翌シーズンの選手を保留する権利があるため、結果的に選手は球団からの拘束を受け続ける(選手の自由意志で他球団に移れない)ことになります。
4大メジャースポーツの中で最も早くFA制度が導入されたのがMLBと米プロバスケットボールリーグ(NBA)で、1976年のことでした。その後、NFLがこれに続き、1993年にFA制度が導入されました。FA制度導入の影響によって、選手年俸は高騰の一途を辿ることになり、サラリーキャップ制度導入の契機となるわけです。
サラリーキャップ制度をいち早く導入したのはNBAで、1983年のことでした。
NFLがこれに続き、1994年に同制度を導入します。NFLより先にNBAが同制度を導入しているのは意外かもしれませんが、これはNBAの方が早期にフリーエージェント制度を導入したためでしょう。また、米アイスホッケーリーグ(NHL)には、近年までサラリーキャップ制度はありませんでしたが、選手年俸の高騰に業を煮やした経営側が強引に同制度の導入に踏み切ろうとしたため、2004年から2005年にかけてロックアウト(経営者による選手の締め出し)が起き、シーズン全体がキャンセルされるという異常事態になりました。
格差広がる「カネ持ちチーム」と「貧乏チーム」
ここまで読んで、「あれっ?」と思われた方もいるでしょう。そうです、実はFA制度を最も早く導入したMLBだけ、未だにサラリーキャップ制度が導入されていないのです。
MLBでは、1996年にサラリーキャップ制度の代替案として課徴金制度を導入しました。課徴金制度とは、年俸総額が一定のラインを超えたチームに課徴金(ぜいたく税)をペナルティーとして課すという制度で、原理的にはサラリーキャップと同じく年俸高騰の抑制を狙ったものです。しかし、罰金さえ払えば上限を超えてもいいわけですから、サラリーキャップに比べると年俸高騰の抑制効果は小さくなります。
実際、MLBの選手年俸はFA制度が導入された1976年以降、右肩上がりで伸び続けており、課徴金制度が導入された1996年以降もその勢いは止まっていません。一方、NFLではサラリーキャップが導入された1994年以降、年俸の上昇曲線が緩和されていることが分かります。2008年のシーズン開幕時点でのMLBの平均年俸は約315万ドル(約3億円)でしたが、同年のNFL選手の平均年俸は約180万ドル(約1億7000万円)と言われていますから、MLB選手に比べれば、NFL選手は“お金持ち”とは言えないことになります(あくまでも相対的な評価としてですが)。
サラリーキャップ制度が導入されていないMLBでは、「カネ持ちチーム」(年俸に巨額のカネをつぎ込めるチーム)と「貧乏チーム」との格差が拡大しています。前回のコラムでも述べましたが、MLBでは年俸総額上位3チームと下位3チームの平均を比べると、その格差が約3.15倍に拡大しており、戦力不均衡が深刻化しています。一方、NFLではその格差が約1.25倍に収まっており、年俸総額に大きな偏りは見られません。
例えば、MLBでは昨年プレーオフに進出した8チーム中6チームが、年俸総額上位15位(上位半分)に入っていました。一方NFLでは昨シーズンのプレーオフに進出した12チーム中、年俸総額が16位以内(上位半分)に入っているのは5チームだけです。下表は、MLBとNFLの年俸総額ランキング(2008年)で、青い網掛けがプレーオフ進出チームですが、その違いは一目瞭然です。
表:MLB年俸総額ランキング(2008年)
表:NFL年俸総額ランキング(2008年)
現在、NFLの年商は4大メジャースポーツで最高の約80億ドル(約7600億円)、MLBがこれに次いで約70億ドル(約6650億円)前後と言われています。つまり、NFLは年商ではMLBを上回っているにも関わらず、平均選手年俸はMLBの60%以下に抑えているわけです。そして、これを可能にしているのがサラリーキャップ制度なのです。
しかし、先にも述べましたが、2010年3月までに新労使協定が締結されなければ、2011年にサラリーキャップが消滅する決まりになっています。サラリーキャップがなくなれば、年俸格差がMLBのように拡大してしまい、金持ちチームしか優勝を狙えないようになってしまうかもしれません。その意味で、サラリーキャップ消滅はNFLをMLB化する“パンドラの箱”なのです。
NFLは、その堅実経営の屋台骨であるサラリーキャップ制度を賭けてまで、一体何を守ろうとしているのでしょうか?
労使が抱える時限爆弾
NFLが守ろうとしているのは、誠実な労使交渉というフレームワークです。
実は、労働協約の最終年にサラリーキャップの消滅のような“時限爆弾”を設定しておくことは珍しいことではありません。その理由の1つは、新労働協約締結に向けた労使交渉において、経営側の“牛歩戦術”を封じるためです。労使交渉が長引くと、経営者側は安易に「前年度までの協定を1年延長しよう」と言ってくることが多いのですが、こういう安易な交渉カードを切らせずに、経営側と選手会側が誠実に交渉するように仕向けるために、このような条件になっているわけです(しかし、今回は経営側がオプトアウトしたわけですから、安易に1年延長しようと言ってくる可能性は低いかもしれません)。
もう1つの理由は、経営側だけでなく、選手側にも誠実に交渉を行わせるインセンティブとするためです。既述の通り、サラリーキャップが消滅すれば、年俸総額の上限だけでなく下限も撤廃されます。つまり、大枚を払うチームが出現する一方で、年俸の支払いを渋るチームも出現する可能性があるわけです。ですから、特にスモールマーケットのお金のないチームに所属する選手には、年俸が下るリスクが出てくるわけです。
このように、労使双方が痛手を被る“時限爆弾”を設定しておけば、労使が誠実に労働条件の交渉を行うインセンティブとなるわけです。高度に政治的な戦いでもある労使交渉の場では、考えうるありとあらゆる交渉のカードが切られることになります。そして、これが時として単なる時間稼ぎや面子争いといった不毛な駆け引き巻き起こしてしまいます。
NFLでは、意図的に“時限爆弾”を設置することにより敢えて労使両サイドを崖っぷちに追い込んでおいて、実効的な交渉を始めざるを得ない状況を用意しているのです。
最近のコメント