このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです
国際オリンピック委員会(IOC)の評価委員会は9月2日、2016年に開催される第31回オリンピックの候補地に立候補している東京、リオデジャネイロ(ブラジル)、シカゴ(アメリカ)、マドリード(スペイン)の4都市の開催能力を最終評価した「評価委員報告書」(Evaluation Commission Report)を公表しました。
この報告書は、評価委員会が今年4月から5月にかけて順次実施した候補地訪問を参考に、以下の16項目から各都市のオリンピック開催能力を総合的に評価したものです(全90ページ)。
1. ビジョン、過去の資産、コミュニケーションおよび全体的なコンセプト
2. 政治的・経済的環境や構造
3. 法制度
4. 関税・入国手続き
5. 環境・気象
6. 財務
7. マーケティング
8. 競技施設
9. パラリンピックゲーム開催
10. 選手村
11. 医療サービス・ドーピング管理
12. セキュリティー
13. 宿泊施設
14. 輸送
15. テクノロジー
16. メディア運営
報告書では、各項目について優れている点と改善が必要な点が併記される形が取られていますが、候補地間で明確な優劣をつけるような表現はなるべく控えるように注意深く記述されています。ちなみに、4都市の評価委員報告書における評価を簡単に整理すると、以下のようになります。
都市 | 評価ポイント | 懸念ポイント |
---|---|---|
シカゴ | ・コンパクトな大会開催計画 ・環境に配慮した都市計画との整合性 ・湖畔の美しい選手村 ・政府が支援するセキュリティー体制 | ・政府・自治体からの保証のない財政計画 ・新設・仮設施設の多さ ・施設周辺の輸送・交通 |
東京 | ・コンパクトな大会開催計画 ・都市計画との長期的な整合性 ・政府・自治体からの保証ある資金計画 | ・低い大会開催支持率 ・限られた宿泊施設 ・一部の施設建設計画が不明瞭 ・選手村の広さ ・選手村・施設周辺の輸送・交通 |
リオ | ・都市計画や社会的ニーズとの長期的な整合性 ・高い大会開催支持率 ・政府・自治体からの保証ある資金計画 | ・社会インフラの未整備 ・限られた宿泊施設・選手村 ・治安(改善されつつはあるが) |
マドリード | ・高い大会開催支持率 ・既存施設の活用 ・コンパクトな大会開催計画 ・政府・自治体からの保証ある資金計画 | ・オリンピックスタジアムの建設 ・開催計画における不明瞭な財政的・組織的施策 ・反ドーピングの法制化 |
出所:IOC Evaluation Commission Report よりトランスインサイトが作成
開催都市が最終決定される10月2日のコペンハーゲンでのIOC総会まであと約2週間です。今回のコラムでは、現時点での開催地選考レースを評価するとともに、東京招致実現に向けてのラストスパートで必要なことを整理してみようと思います。
開催都市の選考プロセス
オリンピック開催都市の選考プロセスは、大まかに整理すると「立候補都市選定」と「開催都市決定」の2つのフェーズから成り立っています。
立候補都市選定プロセス(第1フェーズ)では、IOCが招致を希望する都市から立候補申請を受け付け、開催能力の有無を審査することになります。これは、各都市が提出する大会開催計画をまとめた申請ファイルを審査する形で実施されます。
2016年のオリンピックには、前述した4都市に加え、ドーハ(カタール)、プラハ(チェコ)、バクー(アゼルバイジャン)の7都市が立候補申請を行い、「政府からの支援」「社会インフラ」「スポーツ施設」「財務」「選手村」「輸送」などの11項目からの定量的な審査が行われた結果、2008年6月にIOCが最低スコアとして求める6.0をクリアした先の4都市が正式な立候補都市として認められました(ドーハはリオを上回るスコアを獲得したが、IOCの認めない10月開催を主張したため落選)。ご覧の通り、この段階で東京の評価は招致を希望した7都市中トップでした。
2016年夏季オリンピック招致希望都市の評価
都市 | 国 | IOC評価 |
---|---|---|
東京 | 日本 | 8.3 |
マドリード | スペイン | 8.1 |
シカゴ | アメリカ合衆国 | 7.0 |
ドーハ | カタール | 6.9 |
リオデジャネイロ | ブラジル | 6.4 |
プラハ | チェコ | 5.3 |
バクー | アゼルバイジャン | 4.3 |
出所:IOC
次に、開催都市決定プロセス(第二フェーズ)では、第一フェーズで大会開催能力を有する「立候補都市」として認められた都市から、最終的なオリンピック開催都市が決定されることになります。
このフェーズでは、IOC評価委員会による視察が行われた後、各立候補都市によるIOC委員へのプレゼンテーションがローザンヌ(スイス)で実施され、前述した評価報告書が公表されることになります。そして、最終的に10月2日のIOC総会で開催都市が決定されるというわけです。9月2日に公表された評価報告書は、IOC委員の投票の際の参考になると言われており、総会までの1カ月間が勝負の分かれ目となります。
浮動票の獲得が分かれ目
オリンピック開催都市は、100名超のIOC委員のうち立候補都市が属する国のIOC委員を除く委員の投票によって決定されます。総会では過半数の票を得た都市が開催都市として決定されますが、過半数の票を得た都市がない場合は最少得票だった都市が脱落し、過半数の得票を得る都市が現れるまでこれを繰り返すことになります(落選した立候補都市の委員は、次のラウンドから投票に参加できるようになる)。
ちょっと分かりにくいので、2012年の開催地決定投票を例に説明してみましょう。
2012年のオリンピック招致には下表の5都市が立候補都市として選定されました(2012年の開催都市決定投票では、パリが本命と言われながらもその他の都市を大きく引き離す決定的な要因がなく、結局ロンドンとの決戦投票にまでもつれ込んだ)。第1回投票では、5立候補都市のある国のIOC委員は投票に参加できません。第1回投票で落選したロシア(モスクワ)の委員は第2回から投票に参加でき、第2回で落選したアメリカの委員は第3回から参加できるという具合です。
この選考プロセスから言えることは、他都市と比べて過半数を奪える決定的な差がない投票の場合は、とにかく負けない戦をして最終決選投票に残ることが重要ということです。誤解を恐れずに言えば、落選都市を応援していたIOC委員からの浮動票をいかに獲得できるかが勝負の分かれ目と言えるでしょう。東京での開催を望む場合は、「東京が一番いい」と考えてくれるIOC委員を増やすとともに、「東京はダメだ」と考えるIOC委員をいかに減らすかが重要なポイントになると考えられます。
実際、マドリードは第2回投票で最多得票を獲得しましたが、第3回投票で落選の憂き目にあっています。これは、第2回投票で落選したニューヨークを推薦していたIOC委員の票を獲得することに失敗したためだと推測できます。
現地視察後、トップから3位に転落した東京
IOC総会における開催都市決定投票には、純粋な大会開催能力の評価だけでなく、地政学的要因(「○○大陸で初の五輪」など)やIOC委員との個別な利害関係など様々な要因が絡んでくると言われています。こうした複雑多岐にわたる決定要因を分析するのは簡単なことではないでしょうが、過去のオリンピック招致プロセスを詳細にベンチマークし、各立候補都市の相対的な優位性を数値化する独自の計量モデルを開発した人物がいます。
オリンピック招致活動研究の第一人者として有名なカナダ人、ロバート・リビングストーン氏がその人です。リビングストーン氏は、1996年の夏季オリンピックの招致合戦でアトランタがアテネ、トロントを抑えて開催都市に選ばれた1990年のオリンピック招致活動以来、招致プロセスから得られたデータと決定要因の関連性を統計学の専門家らと徹底的に分析し、1998年にBidIndex(ビッド・インデックス)という独自の指標を作り出しました。BidIndexの計測モデルはそのデビュー後も継続的に招致活動データを取り込んでブラッシュアップされており、今ではかなりの高い精度で候補都市の相対的優位性を数値化することに成功しています。
そのBidIndexの2016年オリンピック招致活動の最新データが9月10日に公表されました。これは、評価委員報告書が公表された後に初めて算出されたスコアです(つまり今までの開催計画の書類上の評価に、評価委員会による現地視察での評価が初めて加えられたという点で今までのスコアと違った意味を持つ)。
これによると、2008年6月の立候補都市決定以降首位をキープしていた東京が3位に落ち、リオとシカゴが大きく値を上げて1位と2位に浮上しています。現地視察の評価が入る前の前回調査と比べると、リオとシカゴはスコアを伸ばし、東京とマドリードはスコアを落とすという明暗が分かれる結果になりました。
東京は、IOCに立候補を申請した2008年1月以来、右肩上がりで一貫して高いスコアを維持してきましたが、評価委員報告書が公表された後にスコアを落とした格好になりました。一方、リオとシカゴは、一時東京に水をあけられていましたが、逆に評価委員報告書公表後にスコアを伸ばし、東京を逆転しました。マドリードは、4都市の中では最低ラインのスコアに終始しています。
BidIndexを公表しているGamesBids.comによると、東京がスコアを落とした要因については、現地視察調査にて大会開催支持率の低さや開催計画書に記載されていた一部の施設建設計画が不明瞭なことが判明した点、大会期間中の観光客用宿泊施設が限定されている点などが挙げられています。
リオについては、大会開催支持率が高いことや現実的な予算計画、そして南米大陸に初めてオリンピックを招致するという大義名分、ブラジル五輪委員会のカルロス・ヌズマン氏のカリスマ的人気などがスコアを伸ばした要因として挙げられています。
一方、シカゴは調査をする度にスコアを下げていたのですが、これは大会開催計画自体の評価が低かったというよりは、4都市の中で唯一政府・自治体からの財政保証が得られておらず、また今年7月8日に米国オリンピック委員会(USOC)が現オリンピックテレビ放映権保有局のNBCを差し置いて、米最大のケーブルオペレーター、コムキャストと共同で2010年からオリンピック専用チャンネル「USオリンピック・ネットワーク」を設立するという計画を一方的に発表してIOCから批判を受けたことなどの“失点”を重ねたためだと考えられます(ちなみに、NBCの親会社GEはIOCの最高位スポンサー「TOPパートナー」の9社のうちの1つです)。
しかし、8月16日にUSOCが「USオリンピック・ネットワーク」設立計画を凍結し、またIOCが評価委員報告書を公表した1週間後の9月9日にはシカゴ市長が財政保証を行うことを最終的に認めるなど、ここにきて今までの失点を回復したことが、シカゴが大きくスコアを伸ばした要因と言えそうです。
東京がラストスパートで必要なこと
BidIndexは、過去の招致活動におけるデータに基づいた計測モデルから算出しているため、言ってみれば天気予報と同じ原理であり、未来を確実に予想するものではありません。私自身も、このBidIndexを絶対視するつもりはありませんが、このスコアに基づいてあと約2週間の招致活動で日本がラストスパートをかけるためには何が必要なのかを大胆に占ってみようと思います。
各都市の招致チームには開催都市を決定する10月2日のIOC総会にて最終プレゼンテーションをする機会が与えられます。ここで東京チームは、評価委員報告書にて指摘されて懸念ポイントについて確実な改善計画を準備・公表することが不可欠でしょう。前述の通り、投票方式を考えると、「東京はダメだ」と考えるIOC委員の数をできるだけ減らすことが重要になってくるためです。この点はMUSTでしょう。
また、現時点では、BidIndexのスコアが伸び悩んでいるマドリードが最初の投票で落選するシナリオの可能性が一番高いわけですから、マドリードを応援していたIOC委員からの浮動票を第2回投票で得るための動きを強化し、実行に移すことも必要でしょう。リオは9月2日、先に落選した方が残った候補地を支持する相互協定を2012年の投票で浮動票の取り込みに失敗して辛酸をなめたマドリードと結んだと発表しましたが、こうした“寝技”も必要になってくると思います。
IOC総会までの2週間で大きな“失点”をしないことも重要です。例えば、2012年の決選投票では、本命視されていたパリを決選投票でロンドンが破る結果(54対50)となりましたが、これはIOC総会が開催されたシンガポールにブレア首相自らが乗り込んで政府の全面支援を訴える積極的なロビー活動を展開したことに加え、シラク大統領がパリでの開催を擁護するつもりで「イギリスの料理はフィンランドの次にまずい」と発言してしまったことが敗因とも言われています。フィンランドのIOC委員は2名いたため、この失言がなければパリが敗れることはなかったかもしれません。
日本では民主党政権が誕生しましたが、これまで自身もオリンピック選手だった麻生太郎前首相が顔役として「政府保証」を行っていただけに、IOC総会直前での政権交代が思わぬ不安材料になっています。民主党は、都議選や衆議院選を通じて新銀行東京の経営問題などで石原都政への対決色を強めていただけに、これまでの日本政府による全面的なバックアップの信頼性が揺らぐような“事件”が起これば致命傷になりかねません。
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