1. コラム

松井もイチローも見られなくなる?

このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです

 2002年に野球ファンを襲った恐怖を覚えていらっしゃるでしょうか。

 2年連続200本安打に向けて、その年もイチローは快調に飛ばしていました。ところが、8月に入って、米大リーグの労使交渉は暗礁に乗り上げ、「ストライキ突入」が不可避な状況へと追い込まれていったのです。年俸総額の抑制や球団の削減をめぐって、議論が平行線をたどったまま、期日の8月30日が近づいていました。

 ストに入れば、大リーグのシーズンは中断してしまいます。そして、イチローの試合を見ることができないばかりか、目指した記録も夢と消えてしまう…。

 スト決行の日がやってきました。そして、ギリギリの交渉によってストは回避されたのです。もし、この時にストに突入していたら、昨年に話題となったイチローの10年連続200本安打という偉大なメジャー記録は達成されていなかったことになります。

米スポーツがブラウン管から消える危機

 あれから8年を超える歳月が流れ、その間に松井秀喜や松坂大輔など、次々と日本の人気選手が海を渡っていきました。今や、大リーグの試合を観戦することは、日本の野球ファンにとって当たり前のこととなっています。

 ところが今年、大リーグをはじめとする米4大スポーツが、すべてあの時の恐怖の縁に追い込まれるかもしれません。

 それを私は「2011年問題」と名付けています。

 今から約10年前、世界中が「2000年問題」に揺れました。コンピュータープログラムが2000年を1900年と間違えて認識して誤作動が起こり、社会インフラがストップしたり、医療機器が誤作動するという事態に震えました。中には、「ミサイルが誤発射されて、核戦争が起こる」といった物騒な予測まで流れたのです。

 当時、私は東京のコンサルティング会社に勤務していて、クライアントと2000年問題の対応に追われました。こうした事前対応が功を奏したのか、あるいは単なる過剰反応だったのか分かりませんが、世界レベルで大きな混乱が生じることはありませんでした。

 実は今、米国のプロスポーツ界では、これと似た2011年問題という時限爆弾を抱えています。と言っても、コンピューターのように誤作動を起こすわけではなく、4大スポーツにおいて全ての労使協定が、2011年内に失効することを指して、そう呼んでいます。

 つまり、日本のスポーツファンの間でも、日常の楽しみとなっている米国のメジャースポーツの試合が、観戦できなくなるかもしれないのです。

 日本人にとっては、この「スポーツのストライキ」という事態は、なかなか理解しにくいところがあります。欧米では、リーグや球団側と選手(選手労組)側が団体交渉を行って一定期間の労働条件について合意し、労使協定を締結することは当たり前のこととなっています。ところが、まだその習慣が日本のスポーツ界には根付いていません。スポーツファンでも、うまく事態をのみこめないのは無理もありません。

労使協定が切れる“魔の谷間”がやってくる

 ただ、読者の中にも、昨年末のサッカー日本代表選手と日本サッカー協会(JFA)との、待遇を巡る衝突を覚えていらっしゃる方は多いのではないでしょうか。

 日本プロサッカー選手会会長の藤田俊哉選手などが先頭に立ち、親善試合のボイコットをちらつかせながら「勝利給」のアップや福利厚生の充実といった待遇改善を求めたのです。これに対して、小倉純二JFA会長が「お金をもらえなければボイコットする、という選手はどうぞ。(試合は)好きな選手だけでやればいい」などと応じたことが報じられ、対立がエスカレートしました。

 これも1つの労使交渉です。選手待遇だけでも、これほどヒートアップするわけですが、米国プロスポーツの労使交渉では、労使協定がカバーする広範な労働条件を交渉するため、その労力やエネルギーたるや相当なものです。労使で対立するトピックについては、1年やそれ以上もの長い時間をかけて、侃々諤々の議論を戦わせます。

 そして、決裂すれば、ストライキやロックアウトといった労働争議が起きます。労使協定の切れ目がこのタイミングとなるため、公式シーズンがキャンセルされることも、過去には何度も起きているのです。

 大リーグの頂点を決めるワールドシリーズ。第2次世界大戦でも中止されることがなかった一大決戦が初めてキャンセルされたのは、1994年の労使協定の切れ目に起きた大リーグのストライキでした。2004-05年シーズンが吹っ飛んだ米アイスホッケーリーグNHLのロックアウトも、労使協定の切れ目に起きています。

 “魔の谷間”と言える労使協定の切れ目。これが、2011年内に米4大スポーツで連続して訪れるのです。交渉が暗礁に乗り上げれば、最悪の場合2011年から2012年にかけて4大スポーツ全てが開催されない、前代未聞の年になる可能性だってゼロではないのです。

「スポーツの労使協定」って何だ?

 さて、今回は「労使協定」という言葉を何度も使っています。英語では「Collective Bargaining Agreement」と記され、その頭文字を取って「CBA」と略されます。

 このCBAとは、一体何なのでしょうか?

 プロスポーツ界の労使間には、大きく2つの契約書が存在します。1つは、球団と選手個人が結ぶ「統一契約書」です。英語では「Uniform Player’s Contract」と言い、その頭文字をとって「UPC」と呼ばれます。もう1つは先に触れたCBAで、これはリーグと選手会が結ぶ契約です(図を参照)。

 統一契約書で規定されるのは、「契約期間」や「年俸」、「インセンティブ(出来高報酬)」といった個々の選手の労働条件が中心となります。おおよそ10ページ前後の契約書となります。

 一方、労使協定で規定されることは、「最低年俸」や「各種手当」といった全選手に共通する労働条件や、「リーグ戦日程」や「選手保留制度」「収益分配制度」「サラリーキャップ」といった項目です。したがって、この協議が、スポーツリーグのビジネスの枠組みを形成することになります。そのため、規定することは以下のように広範に渡り、そのボリュームは膨大なものになります。リーグによっては、200~300ページにも及びます。

参考資料:現行のNFL労使協定の目次

第1条用語定義
第2条準拠契約
第3条協定の範囲
第4条労働争議の禁止
第5条選手協会
第6条選手代理人認証
第7条選手の安全
第8条球団の規律
第9条苦情処理(怪我以外)
第10条怪我に関する苦情処理
第11条コミッショナー権限
第12条怪我の防止
第13条各委員会
第14条NFL選手契約
第15条オプション条項
第16条ドラフト制度
第17条選手枠
第18条ベテラン選手
第19条フリーエージェント制度
第20条フランチャイズ選手・トランジション選手
第21条ファイナル・エイト制度
第22条ウェイバー制度
第23条解雇手当
第24条収益分配制度
第25条サラリーキャップ制度
第26条特別判事(スペシャル・マスター)
第27条中立的仲裁者
第28条共謀禁止
第29条選手契約の承認
第30条コンサルテーションと情報共有
第31条新規参入
第32条その他規則
第33条選手保有枠
第34条練習生
第35条オフシーズンの練習制限
第36条ミニキャンプ
第37条プレシーズンキャンプ
第38条年俸
第39条最低年俸
第40条成績連動基金
第41条食費
第42条休日
第43条引っ越し手当・交通費
第44条ポストシーズンの支払い
第45条プロボウル
第46条医療手当
第47条医療記録へのアクセス
第48条福利厚生費
第49条退職金制度
第50条セカンドキャリア貯蓄制度
第51条年金
第52条授業料支援制度
第53条医療費払い戻し口座
第54条88ベネフィット
第55条福利厚生委員会
第56条団体保険
第57条解雇手当
第58条傷害保険
第59条福祉調停官
第60条労災
第61条その他

 コンピューターに例えれば、労使協定はスポーツリーグの基本的な動きを決めるOS(オペレーションシステム)、統一契約書は各選手との労働条件を規定するアプリケーションソフトのようなイメージでしょうか。労使協定は、まさにリーグビジネスの骨格を規定するプログラム(設計図)そのものなのです(プログラムに仕組まれた時限爆弾という意味では、2000年問題と似ているところがあります)。

 では、どのスポーツが爆発の危険を抱えているのでしょうか。

あと6週間! 爆発寸前のNFL労使

 今年、米4大プロスポーツの労使協定は、以下の順序で失効していきます。

3月 NFL(米プロフットボールリーグ)
6月 NBA(米バスケットボール協会)
9月 NHL(米アイスホッケーリーグ)
12月 MLB(米大リーグ)

 ちょうど四半期ごとに失効していくことになります。これは偶然なのか、はたまた仕組まれたものなのか、私には分かりませんが、交渉期限が近づいているリーグの

労使交渉が、より熱を帯びてくることになります。

 実際、NFLとNBAは昨年から頻繁に労使交渉を重ねていますが、NHLやMLBではまだ目立った動きは見えてきません。最初に期限切れを迎えるのは、3月3日に労使協定が失効するNFL。交渉のタイムリミットまで、残すところあと6週間しかありません。

 労使協定とは「リーグビジネスの骨格を規定するプログラム」と書きました。誤解を恐れずに言えば、スポーツリーグのビジネス活動で生みだした富を、労使でどう山分けするのか、その「ルール解説書」ということです。労使交渉で焦点になるポイントは様々ですが、要は「カネの奪い合い」というわけです。

 例えば、今のNFLの労使交渉で、対立のポイントとなっているのは、選手年俸の配分方法です。NFLではサラリーキャップ制度で、選手の年俸総額が決められています(現在はリーグ全体収入の59%)。図で見ると一目瞭然です。以下の2つの図をご覧下さい(いずれも、2008-2009年シーズンのNFLの売り上げ推定額を85億ドルとして作成)。

 現行の協定では、売上高からまず与信コスト(Cost Credit)を差し引いて、分配の対象外として積み立てることになっています。昨シーズンはこの額が10億ドルだったため、分配の対象額は、「85億ドル-10億ドル=75億ドル」。サラリーキャップが59%に設定されているので、選手が分捕るカネは総額44億3000万ドルとなるわけです。

 これが下の図に示した、現行の労使協定での配分イメージです。

 この状況に、球団側(オーナー側)は、「協定が選手側に有利だ」と反発しています。

 以前「NFLの最強モデルが壊れる時」でも解説しましたが、オーナー側は現行の協定から、OPT-OUT(早期離脱)した経緯があります。「リーグ経営の安定性を保つために更なる与信コストの拡大が不可欠だ」と主張しています。

 この主張を図で示すと、選手側の年俸が大きく減ってしまうことが分かります。

 オーナー側が主張する案を、下のように図解できます。

 10億ドルの与信コストに、更に残額75億ドルの18%相当額(13億5000万ドル)を追加せよ、というのです。その残りを、サラリーキャップ算出対象にするというものです。結果的に選手年俸への分配額は36億3000万ドルとなり、選手にしてみれば取り分を8億ドルも減らされることを意味します。NFLには約1700人の選手がいますから、選手1人当たり約47万ドル(約4000万円)も年俸が下がることになります。選手会としても、「はい、分かりました」と容認できない提案なのです。

 では、どうやって解決に向けた交渉をしているのでしょうか。

 NFLでは、年俸の大幅削減となるオーナー側の提案を、「果たして合理的な提案か」を主な論点にして、交渉が進められています。もちろん、争点はそれ以外にも「新人選手の給与支払い方法の変更」や「公式試合数の増加」など、いくつものサブトピックがあります。これらが、相互に複雑に影響しあいながら、交渉の駆け引きが繰り広げられていくのです。

ロックアウトの準備に入った

 米国では、今回のNFLの労使交渉がこじれると、ロックアウトに発展する可能性が高いと見られています。ストライキは選手が試合をボイコットすることですが、ロックアウトとは経営者が選手を締め出して試合を行わせないことを指します(ちなみに、どちらも労働法で認められた労使の権利です)。

 なぜ、ストではなくロックアウトになるのでしょうか。オーナー側が協定を早期離脱したことからも分かるように、現行の協定に不満が高まっているのは経営者側だからです。選手側は現状維持でいいわけです。

 早期離脱で不退転の決意を示した球団の経営陣は、強硬な姿勢を崩していません。最悪のケースを視野に入れ、ロックアウト基金の準備に入っていると報じられています。労働争議が起これば試合が開催されないので、労使ともに収入が途絶えます。兵糧攻めにあうようなものですから、そんな事態に備えてカネを備蓄しようというわけです。資金が底をついた陣営は足並みが乱れて、交渉が腰砕けに終わってしまいます。

 リーグ機構は、あの手この手でロックアウト基金の捻出を図っているようです。例えば、チームへの低利融資制度(主に新スタジアム建設用)をストップして、資金流出を防いでいます。驚愕なのは、テレビ局との間に「ロックアウトになっても放映権料を支払う」という契約が結ばれていたことです。試合がないのに、テレビ局はカネを払い続けるというわけです。こうした手法で、昨年末までにロックアウト基金を9億ドルもかき集めたのです。

 選手会側も負けていません。選手会が管理している選手の肖像権を使ったライセンスビジネスを使ってロックアウト基金を積み立てています。また、「NFL選手会TV」というオンラインメディアを用意し、交渉状況の公開に努めています。YouTubeには「NFL選手会公式チャネル」も開設され、「あなたにとってのロックアウトの影響は?」といったキャンペーンを実施しています。ファンや選手などにロックアウトへの意見を聞いて、世論によって経営側にプレッシャーをかける作戦です。また、リーグとテレビ局との驚愕の特別契約も、「労使間の共同利益の最大化に反する」として取り消しを訴えています。

 さて、肝心の米国のスポーツファンは、この事態をどう見ているんでしょうか。

 「ああ、また始まったか」。そんな冷めた視線で見ている人が多いように感じます。良くも悪くも、ファンが「労使交渉慣れ」しているわけです。しかも、過去に何度もストやロックアウトの泥仕合を目の当たりにしているため、労使とも応援する気になりません。両者とも「どっちもどっち」という感じで見ています。

 「赤字が続いてリーグ存亡の危機に瀕している」というコミッショナーや球団経営者の言葉を真に受けることはありません。だからといって、高給をもらっている選手たちが訴える「経営者に搾取されている」という主張にも同情することはないでしょう。

 しかし、ここまで「ガチンコ勝負」になってまで、なぜ米スポーツ界は、労使の協定を定期的に見直すのでしょうか?

 次回のコラムでは、この点について考えていきたいと思います。

コラムの最近記事

  1. ZOZO球団構想を球界改革の機会に

  2. 東京五輪を“レガシー詐欺”にしないために

  3. 米最高裁がスポーツ賭博を解禁

  4. 運動施設の命名権、米国より収益性が低い訳は?

  5. 米国で急拡大、ユーススポーツビジネスの不安

関連記事

PAGE TOP