このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです
東日本を襲った地震の一報を受けて以来、日本のことが気になって仕事が手につきません。オフィスの同じフロアの隣人からは、顔を合わせるたびに「今回のことで、本当に心を痛めている」「日本の友人として、一日も早い復興を願っている」といった言葉をかけられます。アメリカという異国で今回の大震災を経験した日本人として、多くのアメリカ人が日本のことを友人として、心配してくれている事実をお伝えしたいと思います。また、彼らの想いが被災地の方々にも届くことを心より願っています。
今回は、米国のスポーツ組織が、有事に際して下してきた意思決定を振り返って検証します。それが、日本のスポーツ界が、東日本大震災の復興支援に力を発揮するための手助けになれば、という思いで筆を進めました。
シーズン開幕で足並みが乱れるプロ野球
日本で「二大プロスポーツ」といえる野球とサッカーの、震災後の対応が注目されています。シーズン開幕直後に震災に襲われたJリーグは、早々に3月中の公式戦の中止を決定し、3月22日に開催されたJ1・J2臨時合同実行委員会で、4月23日からシーズンを再開することを決めました。
一方、シーズン開幕直前だったプロ野球界では、開幕のタイミングについてセ・パ両リーグで対応が分かれる形となり、物議を醸しています。震災によって本拠地「クリネックススタジアム宮城」が被害を受けた楽天ゴールデンイーグルスの所属するパ・リーグは、3月25日に予定されていたシーズン開幕を4月12日に延期することを決めました。これに対し、球団の受けた被害がパ・リーグに比べて少なかったセ・リーグは、当初の予定通り3月25日の開幕を主張していましたが、文部科学省からナイター自粛などの要請を受け、結果的に3月29日に開幕を延期することになりました。
また、日本プロ野球選手会は、こうしたセ・パの分離開催の動きを受けて協議に入りました。その結果、「選手全体として、同時に開幕すべきという意見が大多数だった」として、日本野球機構(NPB)に対し、4月12日のセ・パ同時開幕を改めて求めていく立場を表明しています。サッカー界に比べると、野球界の足並みが乱れている印象は否めません。
大統領が大リーグ続行を支持
国を揺るがす有事に直面し、「いつシーズンを再開するか」という判断は、非常にデリケートな問題だと思います。
「被災して日常の生活がままならない人が多いのに、娯楽なんて不謹慎だ」という意見がある一方、「こうした困難な時だからこそ、プレーを通して勇気を感じてほしい」という意見もあるでしょう。結局は、万人を納得させる判断はありません。ビジョンとリーダーシップの問題だと思います。
一般的に、米国のスポーツ界は国家的な災難に遭遇しても、できるだけ速やかにシーズンを再開させる(あるいはシーズンを中断させない)傾向があると見られています。これは一面の真実なのですが、細かく見るとリーグによって対応は異なります。
例えば、普段通りに続けることを選択した象徴的なケースが、第2次世界大戦中に大リーグの続行を願ったフランクリン・ルーズベルト大統領による「グリーンライト・レター」(Green Light Letter)かもしれません。
当時の大リーグコミッショナーだったケネソー・マウンテン・ランディス氏は、第2次大戦が勃発した直後に、ルーズベルト大統領にシーズン開幕に対する意見を求めました。これに対する返信が「グリーンライト・レター」だったのです。その名の通り1942年シーズン開幕に青信号を示すものでした。以下、その一部を抜粋します(和訳は筆者)。
『私は、野球を続けることが我が国にとっての最良の判断だと心から感じています。今後、多くの国民が今まで以上に長時間に渡り厳しい労働を強いられることになるでしょう。そのような時だからこそ、彼らが厳しい仕事から一息つける娯楽の存在がますます必要なのです。選手の中には従軍する者もいるでしょう。しかし、主力選手が抜けてチーム力が落ちたとしても、野球力が落ちたことにはなりません。どんな国民も適材適所で生かすことのできる力があるのなら、それを国のために役立たせなければなりません。そして、それを(野球界で)公平にやり遂げるのがあなたの職務なのではないでしょうか。野球界が持つ300球団、5000~6000人の選手は、2000万人の国民にとってのかけがえのない娯楽資産なのではないでしょうか』
(ルーズベルト大統領の「グリーンライト・レター」より抜粋)
当時、アメリカ国内ではシーズン開催中止論も広まっていたため、大リーグによるシーズン続行の判断には批判も少なくなかったと聞きます。そうした中で、コミッショナーは大統領の力添えのもと、敢えて「シーズン続行」を決断したのです。
なぜNFLはシーズンを中断したのか
逆に、有事に際してシーズンの一時中止を決断したリーグもあります。米プロフットボールリーグ(NFL)は2001年9月11日のテロに際し、事件2日後に米国メジャースポーツリーグの中でいち早く「週末の試合を全て中止する」という判断を下しました。大リーグをはじめとする他スポーツは、事実上NFLの決断に従う形で、続々とシーズンの一時中断を決めました。
シーズン中断の決断に際し、NFLコミッショナー(当時)のポール・タグリアブー氏が出した声明が以下のものです(和訳は筆者)。
『私たちNFLは、今週末は一旦歩みを止めて哀悼の意を表し、じっくり考えることが優先されるべきだという結論に達しました。今は家族や隣人、そしてテロリストの蛮行で怪我をした方々に配慮する時です。週末にプレーしたいと思っていた者もいるでしょう。一方で、自身の生活を取り戻すことに時間を割きたいと思っている方もいるでしょう。我々は、後者こそNFLが進むべき正しい道だと強く信じています。再来週末の9月23日、NFLは選手やコーチとともに、今まで以上に力強くなって戻ってきます』
実はこの決断は、“伝説のコミッショナー”と言われるピート・ロゼール氏が自ら「最悪の決断」と呼んだ約40年前のNFLの「失敗」への反省が込められています。
ロゼール氏は、ジョン・F・ケネディー大統領が暗殺された2日後に当たる1963年11月24日も予定通りの日程で試合を開催しました。(実は、これには裏があり、当時の大統領報道官でロゼール氏の大学時代の同期でもあったピエール・サリンジャー氏がロゼール氏にシーズン継続を勧めたことが背景にあるのですが)NFLは大統領暗殺という国家的悲劇に際しても、シーズン継続の決断を下したのです。ロゼール氏はシーズン継続に際し、「個人の悲劇に際しても、スポーツが活動を続けることは我が国の伝統でした。フットボールはケネディー氏そのものでした。彼は競争を生きがいにしてきたのです」との声明を出しています。
当時NFLの競合リーグとして存在したAFLが、ケネディー大統領への哀悼の意を表するために試合開催を延期したことも、ロゼール氏の判断を際立たせることになりました。ロゼール氏は後年、この決断を「自分が下した中で最悪の決断だった」と何度も語っています。JFKという国家の象徴を失った国民の喪失感は想像を絶するものがあったのです。9・11テロにおけるNFLの判断は、こうした過去のNFLの体験と反省に根差したものでした。
このように、米国でも国家的有事に際してスポーツがシーズンを続行するか否かは判断が分かれるところです。異論が噴出する中での決断には、多くの批判も伴います。米国の事例から学ぶべきことがあるとすれば、続けるにしても中断するにしても、リーダーがスポーツの「力」と「責任」を理解した上で、組織としての見識やビジョンを示し、ポジティブな結果をもたらすと信じた道を、一致団結して歩んでいく方向性を迅速に決めるということなのかもしれません。
映画「スパイダーマン」のセリフではないですが、「偉大な力には、偉大な責任が伴う」(With great power, comes great responsibility)のです。
スポーツ界は「足し算」より「掛け算」の努力を
例えば、(既に引退している)マイケル・ジョーダン選手が、子供に1足数万円もするシューズを買わせる力があるように、スポーツビジネスは忠誠で、献身的な顧客を有しています。メディア露出度も高いため、選手のイメージや名声が多くの人々の関心を呼び起こします。スポーツ組織は、こうした特別な力を持つ選手をはじめ、テレビ局や法人スポンサー、地方自治体などのステークホルダーを巻き込んで、大きな運動を推進していく力を持っています。
これが、スポーツの「力」です。そして、未曾有の国家的有事にスポーツに求められるのは、こうした「周囲を巻き込んでいく力」でしょう。スポーツ組織には、人々を巻き込んだ「掛け算」のような大きな結果を出すことが期待されています。スポーツには復興のペースセッターとなって国民をリードできる力があるのですから。
このスポーツの「力」にいち早く気づいて、米国のスポーツ組織の価値を根本的に変えてしまったリーダーがいます。NBAコミッショナーのデビット・スターン氏です。
2005年10月、スターン氏は米国プロスポーツ史上類を見ない画期的なコミュニティー支援プラットフォーム「NBAケアース」(NBA Cares)を立ち上げました。NBAケアースでは、選手や球団職員、スポンサー企業らが協力しながら「地球規模で教育・児童・家族・健康などに関する社会問題の解決に主導権を持って取り組んでいく」ことを理念としました。そして、公約として、5年間で以下の3つの目標を達成することが掲げられました。
- 1億ドル(約80億円)以上の寄付
- 選手・球団職員らによる100万時間以上のボランティア
- 全世界250カ所以上の居住・学習・遊戯施設の建設
この公約に見られるコミットメントの強さ、規模の大きさは今までのプロスポーツによる慈善活動の域をはるかに超える前例のないものでした。
スターン氏がNBAケアースを立ち上げたことには、理由があります。2005年8月末にアメリカ東南部を襲った観測史上最大級のハリケーン「カトリーナ」です。カトリーナは1300人以上の犠牲者を出す未曾有の大災害となりました。洪水で、地域の約80%が冠水したニューオリンズでは、災害直後は略奪や強盗、銃撃戦などが頻発し、近代都市としての機能は完全に麻痺してしまったのです。
そのような状況で、都市機能を取り戻すために、連邦政府や州政府、消防・警察当局、湾岸警備隊などによる救援活動が始まり、多くの民間団体や個人からも支援が寄せられました。その中で、スポーツの存在感は際立っていたのです。
NBAは、シーズンオフにも関わらず、解説者ケニー・スミス氏(元ヒューストン・ロケッツ選手)の呼びかけで「NBA選手ハリケーン救済試合」を9月11日に開催しました。コービー・ブライアント選手やレブロン・ジェームズ選手など、多くのスター選手が参加した試合は、TNTでテレビ放映され、100万ドル(8000万円)以上の募金があっという間に寄せられました。わずか2週間弱のことでした。
スターン氏は、スポーツの持つ計り知れない影響力が、慈善活動に大きく繋がっていくことを再認識したのです。だから、カトリーナからわずか2カ月足らずで「NBAケアース」を立ち上げたのです。米国スポーツ界において、勝利至上主義、利益至上主義が変化を起こした瞬間でした。同氏は「NBAケアース」の立ち上げについて、以下のように発言しています。
『民間企業の間にも、企業は単に顧客に尽くすだけでなく、地域コミュニティーに奉仕する責務を負うという考え方が経営公理になりつつあります。ビジネスの本分が、単なるビジネスだけではなくなってきたのです。ビジネス以上のものが求められるようになってきたのです。そして、これこそ我々(スポーツビジネス)の出番なのです。地域コミュニティーへの奉仕とは、我々のビジネスでいうところの広報・地域活動業務にほかなりません。そのため、NBAは広報業務をそのビジネスの中核に据える決断をしました。これはNBAのDNAであり、組織文化なのです』
このように、スポーツの「責任」とは、試合を行うことだけではないはずです。確かに、シーズン開幕をいつにするのかは大切な問題ですが、スポーツもマスコミも必要以上にそれにこだわる必要はないと思います。報道されているだけでも、今回の東日本大震災に際しては、多くのスポーツ選手や組織が支援の手を差しのべています。日本のスポーツ界には、試合以外の面からも被災地の復興支援のペースセッターとして「掛け算」の結果を出すような努力を期待します。
また、是非こうした取り組みを上手くPRする仕組みも構築して、支援の輪が大きく広がっていくことを願っています。東日本大震災への支援で、スポーツの持つ力を最大限発揮できれば、結果的に、人々の暮らしの中にスポーツが文化として深く根付いていくことにもつながると思っています。
最近のコメント