このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです
東日本大震災で開幕を延期していたプロ野球も4月12日にオープンし、シーズンを中断していたJリーグも先週末に公式戦を再開しました。米国でも3月31日から米メジャーリーグ(MLB)の2011年シーズンが開幕し、熱戦が繰り広げられています。
今年は、西岡剛選手が千葉ロッテマリーンズからミネソタ・ツインズに、建山義紀選手が北海道日本ハムファイターズからテキサス・レンジャーズに移籍し、米国球界で奮闘する日本人選手は総勢15人になりました。
ところで、現役日本人メジャーリーガー唯一の内野手で、オープン戦では3割4分5厘の高打率を残し、公式戦でも活躍が期待されていた西岡選手が開幕早々、不運に見舞われてしまいました。4月8日のヤンキース戦の守備でダブルプレーを阻止しようとしたニック・スウィシャー選手の激しいスライディングを受け、左すねの腓骨(ひこつ)を骨折してしまったのです。この一件で西岡選手は戦線離脱を余儀なくされ、15日間の故障者リストに登録されました。ニュースをご記憶の方も多いかと思います。
「故障者リスト」はニュースなどでよく耳にする言葉ですが、怪我や疾病のために試合出場が困難と診断された選手を一時的に登録するリストのことです。怪我をした選手のメジャー登録状態を維持したまま一軍登録選手枠を空け、代わりの選手をマイナーリーグなどから補充することができるというシステムです。
試合中の怪我はいわゆる「公傷」扱いになるため、入院などで戦列を離れている期間もメジャー登録期間としてカウントされることになります。MLBでは年俸調停権取得に3年、フリーエージェント権獲得に6年のメジャー登録が必要となりますから(メジャー登録日数が172日で1年とされる)、非常に合理的な制度だと言えます。
あまり大きく報じられませんでしたが、MLBは従来まで15日間と60日間の2種類あった故障者リストに、今シーズンから7日間のものを追加しました。野球はフットボールやアイスホッケーのように、直接体をぶつけ合う機会が多いスポーツではありませんが、時として西岡選手が受けた併殺封じのスライディングや、本塁突入時の走者と捕手の激突のように100キロを超す巨漢同士が交錯するケースもみられます。
7日間の故障者リストはこうした激しいプレーで脳震盪を受けた選手の健康状態に配慮するとともに、それに伴って別の怪我をしてしまう事態を回避するために設置されたものです。というのも、故障者リストに登録されるとその期間が満了するまで復帰できないため、脳震盪のような一見軽度に思えるような怪我で15日間戦列を離れることを嫌い、強行出場に踏み切るケースが少なくないためです。
「知られざるマイナーリーグの人材育成システム」でも解説しましたが、MLB球団では9つのポジション、40人の1軍枠を巡り、300人近い選手が熾烈な生き残り競争を繰り広げています。脳震盪を押して試合に出場し続ければ、より大きな怪我をするリスクは更に高まりますが、かと言って虎視眈々と活躍の機会をうかがうライバルの前で自分のポジションをおいそれと明け渡してしまうわけにもいきません。15日間も現場から離れれば、試合感覚も鈍るでしょう。7日間の故障者リストが新設された背景には、このような事情がありました。
迫力よりもケガ防止に走るNFL
実はこうした選手の怪我の予防に配慮した動きは米プロフットボールリーグ(NFL)が先鞭をつけたものです。
NFLは昨シーズンから頭部や首への危険なタックルを行った選手に対し、出場停止処分を含めた罰則を強化するルール変更を行っています。これにより、昨シーズンは「危険なタックル」と見なされてリーグから罰金処分を受ける選手(主に守備側選手)が続出しました。ピッツバーグ・スティーラーズのジェームス・ハリソン選手などは、1回の「危険なタックル」で7万5000ドル(約600万円)もの罰金処分を受けてしまいました。
私も大学時代にフットボールをやっていましたが、選手の立場からすれば全くナンセンスな規制だと感じます。そもそも、どう動くか予測のつかない選手にタックルするわけですし、少しでも手を緩めれば相手はそこに付け込んでくるでしょう。NFLは危険なタックルを「ヘルメット同士のタックルや、無防備な選手を痛めつけるタックル」などとしていますが、具体的な定義はありません。このルール改正は、少なくとも選手やファンからは不評でした。
しかし、NFLは不評にも関わらず、更にルール変更を続けています。今年3月22日に開催されたオーナー会議で、今度はキックオフについても以下のルール変更を決定しました。
- キックオフ開始地点をこれまでの自陣30ヤードから5ヤード前進して自陣35ヤード地点からにする(タッチバック地点までの距離短縮)
- カバーチームはキッカーを除いて35ヤードラインから5ヤード以内にセットしなければならない(助走の限定)
フットボールに詳しくなければ、このルール変更の意味が分からないでしょう。要するに、攻撃側にも守備側にも、激しい当たりを減らすための足かせをはめたのです。
フットボールはキックオフで試合が始まります。守備チームのキッカーが敵陣奥にボールを蹴り込み、攻撃チームのリターンを止めたところから、相手の攻撃が開始されます。今回のルール変更は、キック地点を前に出すことでタッチバック(エンドゾーンでボールデッドとなると、リターンは行われずに20ヤード地点から自動的に攻撃が始まる)を増やしてリターンの回数を減らすとともに、カバーチームの助走を短くすることで、スピードに乗った「危険なタックル」を減らすことを目指していると考えられます。
NFLによれば、通常のプレーでの怪我人発生率は100回のプレーにつき5選手なのに対し、キックオフではそれが7選手に増えるということです。キッキング・ゲームは攻撃、守備と並んで試合を大きく左右する重要なプレーです。キッキング・チーム専用の選手やコーチがおり、高度な戦術が練られ、実践されています。NFLはこうした試合の醍醐味を削ってまでルールを変えてしまいました。ちなみに、このルール変更は選手やファンばかりか、コーチからも不評を買いました。
巨額の「隠れた医療コスト」に怯える
NFLがこうしたルール変更に固執するのは、一義的にはMLBの7日間故障者リストと同じく、選手の怪我を予防するためです。野球と比較して、選手同士のコンタクトが圧倒的に多いフットボールでは、故障する確率も高まります。致命的な怪我を受ければ、選手キャリアはもとより、社会生活や生命自体に影響を与えることにもなりかねません。
NFLがとりわけ頭部や首への危険なタックルを減らそうと努めているのは、近年NFLでのプレーと引退後の痴呆症やアルツハイマー病などの脳疾患の関連性が指摘され始めたためです。NFLは昨年3月、ノースウエスタン大学とワシントン大学の医学部から教授を招聘し、NFLでのプレーと怪我の関係について調査を依頼しました。一連のルール変更はこの結果に基づいたものです。
また、「一義的には選手の怪我を予防するため」と述べましたが、その裏には別の事情も見え隠れします。
まず、“サブマリン”医療コストです。実は昨年、NFLに大きな波紋を投げかけた出来事がありました。1966年から73年までNFLでプレーし、現在認知症を患うラルフ・ウェンゼル氏が昨年4月にカリフォルニア州に労災申請を行ったのです。この労災申請は、2つの点でNFLにとっては衝撃的でした。
第1に、それが脳疾患による申請だった点です。それまでOB選手に労災申請されたケースは数多くあったのですが、肩や膝の整形外科的障害ばかりでした。こうした障害であれば補償額は10~20万ドル(約800~1600万円)程度なのですが、脳疾患となると医療費が跳ね上がるため補償額も100万ドル(約8000万円)を超えます。
第2に、カリフォルニア州での申請だった点です。同州の労災制度は他州と違い、同州に本拠地を置くチームの選手でなくても、あるいは同州に居住していなかったとしても、同州で1試合でも試合に出場していれば申請資格を得ることができるのです。例えば、現在同州にはサンフランシスコ・49ers、オークランド・レイダーズ、サンディエゴ・チャージャーズの3チームがありますが、このチームに所属していなくても、カリフォルニア州で対戦したことのある選手であれば、将来的に誰でも同州で労災申請を行うことができることになります。
つまり、NFLでのプレーと脳疾患との関連性が確認されれば、NFLは将来的に脳疾患を抱える多数のOB選手から労災申請を起こされるリスクを負うのです。将来的な医療費負担を抑制するために、NFLは出来るだけ脳疾患につながる怪我を予防しようとしているのです。
また、将来の医療費削減とは別の事情もあります。ブランドイメージの保護です。
「チームと都市のパワーゲーム(下)」でも解説しましたが、NFLは「社会の公共財」というブランドイメージを作り出すことで、リーグ一括のテレビ放映権契約に反トラスト法(日本の独占禁止法に当たる)が適用されることを免れています。また、スタジアム建設に多額の税金を投じるなどの恩恵を得て、これをビジネスの拡大につなげています。ファンや住民に公共的な利益をもたらすはずのNFLが、対戦相手の選手を痛めつけるようなダーティーなプレーを野放しにしていたり、パンチドランカーの温床になっていたのでは具合が悪いのです。
特に、最近では社会全般で企業の社会的責任(CSR)への意識が高まっていることもあり、スポーツの有するエンターテイメント的な側面だけでなく、社会的な価値に注目が集まっています。もはや、米国ではスポーツ組織は試合だけ行っていればよいという時代は終わりました。
そして、こうしたパラダイムシフトが起こる中、スポーツ組織が恐れていた事態が米プロアイスホッケーリーグ(NHL)で起こりました。
ケガの多いスポーツから撤退するスポンサー
NHLもNFL同様に、脳震盪につながる死角からのヒットに対して厳しい罰則を科すルール変更を昨年から実施していました。そんな中で事件は起こりました。
今年3月8日、モントリオール・カナディアンズのマックス・パチオレッティ選手が、ボストン・ブルーインズのズデノ・チャラ選手の強烈なヒットにより運悪くベンチエリア用に窪んだアリーナのガラスに激突し、第4頸椎骨折の重傷を負ったのです。体当たりが日常茶飯事のアイスホッケーですから、微妙なプレーです。NHLは、チャラ選手を退場処分としましたが、「意図的なヒットではなかった」として追加処分は下しませんでした。
これに対し、NHLの公式スポンサーであるカナダ航空が取った行動が、スポーツ関係者を驚愕させました。事件の翌日、カナダ航空はNHLのゲーリー・ベットマン・コミッショナー宛てに次のような書簡を送りつけました。
この書簡には、次のようなくだりがあります。
『我々は無数のスポーツやアート、地域イベントなどに協賛していますが、NHLが選手を保護し、試合の高潔性を保つ責任を負わなければ、これ以上NHLとの協賛関係を続けることは難しくなるでしょう。企業の社会的責任の見地から考えても、重大で無責任な事故を引き起こす可能性のあるスポーツとわが社のブランドを結びつけることがより一層難しくなっています。NHLにより迅速な対応が講じられない限り、わが社はNHLの協賛を降りることになるでしょう。』
カナディアンズのスポンサーであるカナダ国有鉄道のビア・レール社も後日同様の抗議文をNHLに送っています。
こうしたスポンサー企業の動きは、いかに企業が社会的な価値に敏感になっているかを如実に表しています。また、こうした企業の動きに呼応し、スポーツ組織もここ数年、CSRの取り組みによって、スポンサー企業の付加価値創造に貢献してきています。スポーツ組織が実施する地域貢献活動と企業の協賛活動をタイアップすることで、企業が社会的責任を地域社会で果たすサポートをしているのです。そして、言い方は悪いですが、ここが「カネのなる木」にもなっています。
こうして考えると、米国のスポーツ組織が近年こぞって選手の怪我を予防するルール変更に着手した本音が見えてきそうです。
「日本のカナダ航空」は出現するか?
さて、こうした事件を日本のスポーツ界は対岸の火事として黙って見ているだけでいいのでしょうか。
スポーツはとりわけ青少年に対して大きな影響力を持ちます。例えば、八百長問題で大きく揺らいでいる日本の相撲界ですが、八百長を助長した1つの要因に公傷制度の不備が指摘されています。怪我を恐れて思い切った相撲が取れないため、八百長がある意味で怪我を予防する形で機能したというわけです。
しかし、真剣勝負をうたいながら八百長を行えば、スポーツ競技としてはもちろん言語道断ですが、青少年の健全育成という点でも悪影響をもたらします。なぜなら、「大人は口で言うことと行動が違う」というメッセージを子供たちに伝えることになるからです。企業の社会的責任がここまで声高に叫ばれるようになった今、「犯罪行為でなければお咎めなし」として、見て見ぬふりをする協賛企業や放映するテレビ局なども同罪かもしれません。
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