このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです
ちょうどこのコラムがアップされる本日(米国時間の8月18日)から、米国ペンシルバニア州ウィリアムズポートでリトルリーグの世界王者を決める「リトルリーグ・ワールドシリーズ」が開幕します。約10日間にわたり、世界中から激戦を勝ち抜いて集まった8の代表チームと米国各地区を代表する8チームが、合計16チームによって世界一をかけた熱い戦いを繰り広げます。
ニューヨーク市からウィリアムズポートまでは車で約4時間。西隣のニュージャージー州を抜け、ペンシルバニア州を走る高速道路をひたすら西に進んでいくとウィリアムズポートに到着します。意外にも、高速道路を降りるまではそこが“リトルリーグの聖地”であることを気付かせてくれるものは何もありません。
高速道路を下りてのどかな田舎町の風景を眺めながら進んでいくと、あと少しで到着というところで突然の大渋滞に遭遇します。それもそのはず、このシリーズ期間中には人口約6000人の田舎町に30万人以上のリトルリーグファンや関係者らが世界中から押しかけるのです。その光景は、トウモロコシ畑に作った野球場に車が延々と列をなす、映画「フィールド・オブ・ドリームス」のラストシーンのようです。
リトルリーグ・ワールドシリーズについては、日本代表チームが過去6回優勝していることもあり、その存在を既にご存知の読者も少なくないのではないかと思います。昨年は、かつて松坂大輔選手(ボストン・レッドソックス)が所属した江戸川南リトルが劇的な逆転勝利の連続の末に優勝を果たして、日本でも大きく取り上げられました。
しかし、このリトルリーグ・ワールドシリーズが、青少年の健全育成を願う創設者の想いと、スポーツコンテンツの真摯な育成を使命とするESPNのベンチャー・スピリットが交錯する育成舞台であることはあまり知られていません。今回のコラムでは、とかく視聴率が絶対視される中で、コンテンツ育成を視野に入れたスポーツとメディアのパートナーシップについて触れてみようと思います。
安全で楽しくプレーするのが原点
リトルリーグのルーツは、ウィリアムズポートの木材店で働いていたカール・E・ストッツ氏が中心になって9歳から12歳までの少年を集めて1939年に組織された野球団だと言われています。
同氏は、2人の姪っ子と裏庭でキャッチボールをしている際に、ボールを取り損ねてライラックの茂みで足をくじいてしまいました。「子供達が安全に楽しくプレーできる環境を整えてあげたい」。リトルリーグは、同氏がこの時に抱いた思いが出発点となって産声を上げることになりました。
ストッツ氏は、地元の有志から寄付を募ってユニフォームなどを買い揃え、フィールドを探し、少年用に独自に考案したルールで大会を開催します。メジャーリーグ(MLB)の約3分の2のサイズでプレーするという同氏のアイデアは多くの賛同者を集め、1947年には州大会が、49年には記念すべき第1回リトルリーグ・ワールドシリーズが開催されています。今では世界中に参加者を広げ、全世界に7000以上の加盟リーグがあり、200万人以上のちびっこ選手がプレーしています(2010年時点)。
リトルリーグは日本でお馴染みの少年野球とは少し異なる独特のルールを持っています。例えば、14人のベンチ入り選手全員に必ずその試合に出場する機会を与えなければいけません。文字通り、「全員参加野球」です。イニングも子供の体力を考えて6回までとされ、特に体力的な負担が大きい成長期の投手には、様々な投球制限が設けられています。「10歳以下は1日に75球、11~12歳以下は85球まで」と年齢に応じて上限が設けられている上に、「1日に66球以上の投球をした場合は4日、51球~65球は3日、36球~50球は3日、21球~35球は1日の休息をとる」など投球数に応じて休養が義務化されています。
こうしたルールは、「安全に」「楽しく」プレーして欲しいという創設者ストッツ氏の思いから生まれたものでしょう。
選手も観客も楽しむのがリトルリーグ流
“聖地”には、ラマダ・スタジアムとボランティア・スタジアムの2つの野球場があります。メインのラマダ・スタジアムは約1万5000の内野観客席と外野の芝生自由席で構成され、好カードはスタジアム周辺が数万人の観客で埋め尽くされます。
入場料は全席無料で、外野芝生席にはキャンピングチェアーやビーチパラソルなどを持参したり寝転んだりと、自由気ままなスタイルで観戦しているファンが大勢います。
さらに驚くのが、外野席後部のちょうど芝生の坂になっている場所で、子供たちがダンボールで“草ソリ”を楽しんでいることです。日本なら「芝生の中では遊ばないで」と注意されそうですが、ここではそんな野暮なことを言う人はいません。ワールドシリーズも終盤になると、芝生が禿げてなくなってきてしまうのは毎年の“お約束”です。関係者は、こうなることを承知の上で毎年芝生の手入れをしているのです。
つまり、ここでは選手も観客も「プレー」しながら楽しんで観るのが流儀なのです。スポーツを楽しむという行為の原風景を垣間見るような気がします。
百戦錬磨の猛者たちを惜しげもなく投入
このリトルリーグ・ワールドシリーズは、スポーツ専門ケーブルテレビ局ESPNが国内予選から全米中継しています。ただ、リトルリーグはテレビコンテンツとしてはまだまだ発展途上で、昨年の日本代表(江戸川南)対ハワイ代表の決勝戦ですら、視聴率はたった2%でした。ESPNは2014年まで独占放送契約を取得しており、放映権料は年額100万ドル(約8000万円)と言われていますが、ESPNが取得している他のメジャープロスポーツの放映権料に比べれば、100万ドルは微々たる金額です。
表:ESPNが取得している主なスポーツの放映権
スポーツ | 契約期間 | 放映権料(総額) | 放映権料(年平均) |
---|---|---|---|
NFL | 2006-13年 | 88億ドル | 11億ドル |
NBA(*) | 2008-16年 | 46億ドル | 5億7500万ドル |
MLB | 2006-13年 | 23億7000万ドル | 2億9600万ドル |
NASCAR(*) | 2007-14年 | 21億6000万ドル | 2億7000万ドル |
MLS(*) | 2007-14年 | 6400万ドル | 800万ドル |
出所:SportsBusiness Journal
*は地上波テレビ局ABCと共に取得
しかし、視聴率が低いマイナーコンテンツだからといってESPNは番組制作に手抜きなどしません。ワールドシリーズ中、ラマダ・スタジアムでは固定、ハンディ、バルーン(空撮)など合計約20台のカメラが選手の一挙手一投足を追いかけており、MLB顔負けの中継環境が整備されています。
ESPNはスタジアム裏手にトレーラーハウス10台程で即席の制作スタジオを組織しています。約50人の専任スタッフが中継・編集・リサーチにと、所狭しと慌しく動き回っています。こうした制作スタッフには、ESPNがMLBやNFLなどメジャースポーツ中継の制作現場で活躍している百戦錬磨の猛者たちが惜しげもなく投入されています。
また、それ以外に私が驚いたのがリサーチ班で、約10人のリサーチ担当者がフルタイムで出場チームに関する情報を徹底的に集めているのです。収集された情報は、対戦カードごとに電話帳くらいの厚さのレポートに整理されてアナウンサーや解説者の手に渡されます。さらに、試合当日アナウンサーの隣にはアシスタントがおり、オンエア中に必要になった情報をその場でネットで調べて伝えるという念の入れようです。
テレビ中継の中心はあくまでも選手のプレーや試合に至るまでの人間ドラマであり、主役である子供たちを引き立てる関連情報をリサーチ班が総力を結集して調べ上げるのです。ですから、リトルリーグの中継には視聴率を意識した過度の演出や芸能人の起用、「○○王子」といった視聴者受けを狙う安直なネーミングなどは一切ありません。
“育てる”のがベンチャー企業のDNA
ESPNが一見、費用対効果を度外視してまでリトルリーグの中継に力を入れるのはなぜでしょうか? そのヒントは、ESPN設立の歴史を紐解くと見えてきます。
ESPNは、アイスホッケー球団ニューイングランド・ホエールズのアナウンサーだったビル・ラスムッセン氏が1979年に設立したケーブルテレビ局です。ホエールズから解雇されたラスムッセン氏は、その1週間後には地元コネチカット州のスポーツを専門にオンエアするケーブルテレビ局設立のために動き出していました。この構想が、米国初の24時間スポーツ専用ケーブルテレビ局の設立へとつながって行くことになります。
しかし、当時ケーブルテレビの普及率はまだ20%程度で、三大地上波のABC、CBS、NBCがテレビ業界を支配している状況でした。3大ネットワークの広告収入は、テレビCM収入全体の44.7%を占めており、ケーブルテレビの広告収入は1%にも満たない状況でした(1980年時点)。
こうした状況ですから、当時ESPNが成功すると思った者はほとんどいませんでした。しかし、不可能を可能にするのがパイオニアの条件です。ESPNが設立後初めてテレビ中継したスポーツイベントが、スローピッチソフトボール(山なりのボールを投げるレクリエーション用ソフトボール)のワールドシリーズでした。駆け出しのケーブル局にメジャースポーツの放映権を購入する資金力などなく、マイナースポーツを育てて行くしか選択肢がなかったのです。
ESPNはその後、大学フットボールやバスケットボールの放映権をNCAAから取得します。そして、予選から試合中継を行ったほか、再放送を何度も繰り返し行うことでコンテンツを育てて行きました。NBAで活躍することになるラリー・バードや“マジック”・ジョンソンのプレーが繰り返しオンエアされることになったのは幸運でした。
ESPNはその後もNFLのドラフト会議やMLBの殿堂入りセレモニー、アメリカズ・カップ(ヨットレース)、PGAツアー、ボストンマラソンなどそれまでテレビでは扱われていなかったスポーツイベントを次々にオンエアしていきます。スポーツイベントに特化し、ファンの視点から深く掘り下げた中継を行うESPNはスポーツファンから大きな支持を獲得し、1987年には全米の50%以上の世帯にリーチした初めてのケーブルテレビ局となりました。
スポーツファンの視点からイベントを育てていく姿勢は、ケーブル界のベンチャー企業として生まれたESPNのDNAに刻み込まれているのです。
フリーエージェント社員を束ねる“ミッション・ボール”
ESPNの制作スタッフは、プロデューサーやディレクターといった管理職は正社員ですが、それ以外の現場スタッフはほとんどがフリーランスです。それぞれが番組制作の一分野のスペシャリストであり、プロジェクト毎に世界中から集結するのです。今流行りの“フリーエージェント労働者”の集まりと言えるかもしれません。
こうしたスタッフは会社に所属してその指示に従うサラリーマンではなく、自分の好きなことを追求する職人に近い存在ですから、常にファン目線で「どうしたらより迫力ある映像をとれるか」「どうしたらより面白い映像を伝えることができるか」を常に考えています。それが彼らの生きがいであり、楽しみだからです。
こうした番組制作のプロフェッショナルたちが忠誠を誓うのが、ESPNのミッション・ステートメントです。ESPNはこれを野球のボールにプリントしてスタッフに配布しています。以下にご紹介しましょう(訳は筆者)。
我々のミッション:スポーツが観られ、聞かれ、語られ、プレーされ、読まれる全ての場所にいるファンに仕える
ESPNは、箱や金庫の中に隠されたり、一部のマニアックなスポーツファンにだけ保有されるブランドではない。このボールのように、あなたによって所有され、いつでもあなたの手の中にあるものだ。これは大いなる責任の伴うことである。ファンと触れ合い、ファンに仕える際は特に以下に注意されたい。
* 伝えるのではなく共に語れ
* ファンの知識に敬意を払え
* 内部に誘い、「次は何か」を示せ
* スポーツに対する内なる情熱を捉え、比類なき声として提示しろ。我々はスポーツを真摯に受け止める人間の集まりである
* 驚かせ、もてなし、常に話のネタを提供しろ
我々のブランドは、ファンの感じ方そのものである。ESPNという4文字を見た時にファンが何を感じるだろうか。愛か?憎悪か?信頼か? 我々と時を共にしたいと思うだろうか?それがテレビ番組であれ、映画であれ、CMであれ、サービスであれ、プレスリリースであれ、我々の作り出すもの全てはファンの我々に対する見方に影響する。
スポーツイベントを使い捨てにせず、真摯に育てていこうとするESPNの原点は、こうした創業の理念に守られているのです。視聴率が絶対視され、興味本位の薄っぺらい放送が増えつつある中で、視聴者に敬意を払い、スポーツと共に成長しようとするESPNの姿勢に、テレビのプロとしての、スポーツ専門局のパイオニアとしての矜持を見た気がしました。
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