このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです
その瞬間、会場は大きなどよめきと歓声に包まれました。
10月27日に開催されたドラフト会議にて、1巡目で読売ジャイアンツからの単独指名が有力視されていた東海大学の菅野智之投手を北海道日本ハムファイターズも指名し、抽選の結果、ファイターズが独占交渉権を得たのです。
菅野選手がジャイアンツ原監督の甥であることも騒動に拍車をかけ、連日メディアには「強行指名」「強奪」などの刺激的な言葉が並びました。その後、同選手の身内から「挨拶もなく指名するのは人権蹂躙だ」「同義的に許されるのか」などの発言もあり、その報道は日に日に過熱していきました。
ところで、ファイターズの指名はドラフトのルールに則ったものであり、法律違反を犯したわけでもありません。一方、ジャイアンツ入りを熱望していたと言われる菅野選手は、ファイターズへの入団を拒否するのではないかという憶測も流れています。しかし、入団を拒否することも菅野選手に認められた選択肢の1つであり、別にルールや法律に違反しているわけではありません。
誰もルール違反を犯したわけでないのに、これだけ世間から騒がれるのは一体なぜなのでしょうか?
ドラフト制度は法律違反?
ドラフト制度は法律違反ではないかという意見があります。
確かに、通常の産業に比べるとおかしな制度です。例えば、あなたが商社への就職を希望する就活中の大学生だったとします。あなたの大学成績は優秀で、多くの課外活動も経験し、リーダーシップにも優れています。当然、あなたは業界トップのA商事を皮切りに、大手のB物産、C通商という順で就職活動を進めていくことが可能です。別に、A商事の役員に自分の伯父がいたとしても、志望動機に誰も文句を言う人はいないでしょう(むしろ、よくある話かもしれません)。複数の商社から内定が出れば、自分の最も行きたい会社に行くことができます。
しかし、プロスポーツ業界への就職を希望する学生には同じことが認められていません。最下位に低迷する球団が、あなたの意志と無関係にあなたを指名し、それに従うしかないのです。あるいは、複数球団が競合した場合、あなたの就職先が抽選で決められてしまいます。あなたはその結果に納得いくでしょうか?
このように考えると、ドラフト制度は「憲法の保障する職業選択の自由を侵す」「独占禁止法の禁ずる取引制限に当たる」という意見には一定の合理性が認められます。しかし、別の見方も可能です。
晴れてあなたは第一志望だったA商事に入社できました。あなたは、伯父さんが働いていたエネルギー部門で海外を飛びまわってバリバリ仕事をこなしたいと思っていました。しかし、あなたの配属されたのは人事部でした。人事制度を抜本的に改革しようと考えていたA商事は、あなたの能力を見込んで敢えてあなたを希望と違う部著に配置したのです。
商社への就職を希望した時点で、多くの学生は希望通りの部署で働けないリスクを認識し、それを事実上承諾しています。希望する部署に行けないことを理由に入社辞退する新入社員などほとんどいないでしょう。仮に、入社を辞退して翌年エネルギー部門への再登用を期待してA商事を再受験しても、常識的にそのような学生は採用されないでしょう。
つまり、スポーツ業界を通常の産業と同じく球団が個別に自由競争を行うビジネスと考えるか、球団が一定の協調関係を築きながら総体として1つの組織として機能するビジネスとして捉えるかで、見方が違ってくるのです。
米国では入団拒否は“罪”
実は、今回の“菅野騒動”と同じような出来事が2004年にアメリカでも起こっています。米プロフットボールリーグ(NFL)のドラフトで、サンディエゴ・チャージャーズから1巡(全体1位)で指名を受けたミシシッピ大のQBイーライ・マニング選手が入団を拒否したのです。
実は、この入団拒否には父親のアーチー・マニング氏が大きな影響力を与えたと言われています。マニング家はクオーターバック(QB)一家として有名で、アーチーは1970年代にニューオリンズ・セインツのQBとして活躍、イーライの兄ペイトンは、現在インディアナポリス・コルツでエースQBを務めている殿堂入り確実と言われる名選手です。
当時弱小チームだったセインツでプレーしていたアーチーは、結局13年のプロ生活で35勝101敗3分の成績しか残すことができませんでした(勝率2割6分3厘)。これは、100試合以上出場しているQBとしてNFL歴代最悪の数字です。息子が自分と同じ運命を辿るのは不憫だと考えたアーチーは、ドラフト前から「息子がチャージャーズに指名された場合は、入団を拒否する」と公言していたのです(NFLは完全ウェーバー制のドラフト制度を採用しており、前年度の勝率が低かったチームから順番に指名する)。
ドラフト制度はNFLが1936年に最初に導入した制度で、NFLが享受している戦力均衡の根幹を成すものです。「どのチームにも優勝の望みを与える」という戦力均衡の思想があってこそ、試合が盛り上がり応援にも熱が入ることをファン自身が熟知しています。ですから、アーチーとイーライの親子はファンやメディアから「自分勝手な我がままでNFLの繁栄を支えている戦力均衡を破壊しようとしている」と厳しい批判を受けました。
「戦力均衡は是」という前提でビジネスシステムが構築されている米国では、先ほどの商社の例で言えば後者の見方が市民権を得ています。ドラフト制度に限りませんが、年俸総額に上限を設けるサラリーキャップ制度などの戦力均衡に不可欠な制度は、一定程度個人の権利を侵害するもので、過去に度々訴訟沙汰になっています。その際、裁判所は「合理の原則」(Rule of Reason)と呼ばれる原則で判決を下します。この原則は、「制限の反競争的効果と競争的効果を比較し、前者が後者よりも大きい場合のみ違法と判断する」というものです。
例えばドラフト制度なら、「個人の職業選択の自由を侵す」「チームの自由な採用活動を妨げる」といった反競争的効果(商社の例では前者の見方)と、「チーム間の戦力均衡を実現する」「契約金の高騰を防止する」(後者の見方)といった競争的効果が比較検討されることになります。スポーツビジネスには、戦力の均衡を図らないと結果的に産業自体が発展しないという特殊性が認められるため、「必要最低限」(Least Restrictive Form)の規制に限って制限的な管理が認められているのです。
米国では、ドラフト制度は司法審査や労使交渉を経て今の形に落ち着いているので、「法律に違反するのではないか?」というのはもう“終わった”話なのです。ですから、「ルールに従わないのは公平でない」と判断されます。つまり、米国では入団拒否は「戦力均衡」という大きな理念に逆らう“罪”なのです。
曖昧な日本のドラフト制度
翻って、日本のドラフト制度はどうでしょうか?
日本プロ野球機構(NPB)がドラフト制度を導入したのは1965年のことでした。戦力均衡を目指してNFLに倣って導入されたとされていますが、これまで入札抽選や逆指名制度などが混在し、必ずしも戦力均衡に資する運営にはなっていません。NFLやメジャーリーグ(MLB)が「全てのラウンドで前年度の勝率の低いチームから指名を行う」という完全ウェーバー制ドラフトを採用しているのに対し、今でもNPBでは
- 1巡目:入札抽選(全球団が同時に選手を指名し、指名重複時に抽選する)
- 2巡目以後の偶数ラウンド:(球団順位の逆順で指名するウェーバー方式)
- 3巡目以後の奇数ラウンド:(2巡目と反対の順番となる“逆ウェーバー方式”)
という複雑な指名方式となっています。戦力均衡に寄与するウェーバー方式で採用される選手は指名選手全体の約半数に過ぎません。特に1巡指名選手にのみ入札抽選が採用されている点は、以下の2つの意味で問題だと思います。
第1に、最も球団戦力にインパクトがあると思われる第1巡指名選手にウェーバー方式が適用されていない点です。これでは、戦力均衡への効果は限定的となるでしょう。
第2に、入札抽選が事実上一部の球団にとっての逆指名制度として機能している点です。これは、むしろ特定球団に“配慮”して指名を行わない他の球団の責任とも言えますが、例えば2008年のドラフトではジャイアンツ入りを熱望していたと言われる長野久義選手が指名を受けた千葉ロッテマリーンズへの入団を拒否し、翌年の入札抽選(競合なし)でジャイアンツに入団しています。
ただ、指名する球団にしても、せっかく交渉権を手にした選手に逃げられてしまうわけですから、経験的に「特定球団にしか行かない」という強固な意志を表明する選手を指名するのは避けたくなるでしょう。その影響かどうかは分かりませんが、2010年のドラフトではジャイアンツが相思相愛と言われていた澤村拓一投手を入札抽選(競合なし)で難なく獲得し、今年のドラフトでは冒頭の通り菅野選手の一本釣りに動いたというわけです。
ここで何が問題かというと、実際上、一部の野球技能評価の高い選手にのみ職業選択の自由が認められている(指名を拒否して1年待てば希望球団に入団できる)点です。これは、戦力均衡の理念に反するばかりでなく、野球の技能により職業選択の自由の提供を差別していることになるからです。しかし、保護されるべき権利と野球技能には何の関係もありません。ファイターズの菅野選手の指名は、ここに一石を投じたことに大きな意味があるように思います。「あるべき姿」に戻したのです。
日本のドラフト制度は司法審査を経ていない(誰も訴えたことがない)ので、その違法性については何とも言えないところですが、こうした点を考えると前述の「合理の原則」からNPBのドラフト制度を評価するなら、合理的な競争効果は認められ難いでしょう。実際、今のドラフト制度では仮に菅野選手が入団拒否したとしても「戦力均衡を壊そうとしている」という批判はできません。思想なきドラフトでは“罪”にさえ問えないのです。
形骸化を防ぐ合理的な対応を
同じ野球で比べてみましょう。MLBでは「ヤンキース以外の球団から指名されたら入団を拒否する」といったような主張を行う選手はほとんどいません。選手が特定球団のみに入団したいと公言できるのは、日本球界のユニークな点です。かつての逆指名制度の名残なのかもしれません。
その背景として、MLBでは「ドラフト指名=一軍での活躍」は全く保証されるものではないことが挙げられます。毎年1球団が50人もドラフト指名する中で、指名は単に約200名のマイナーリーガーの一人として「MLBに挑戦できる権利を得た」に過ぎないからです。MLBに「大卒即戦力」という言葉はありません。
しかし、MLBでも契約条件で揉めて入団拒否に至るケースはあり、問題視されています。例えば、ボストン・レッドソックスのJ・D・ドリュー選手は、フロリダ州立大学時代に1年生からレギュラーで活躍し、アトランタオリンピックの代表メンバーにも選抜されるようなエリート選手でした。同選手は1997年のドラフトで第1巡(全体2位)にてフィラデルフィア・フィリーズから指名されますが、「1100万ドル以上でないとサインしない」と公言していた同選手の代理人=スコット・ボラス氏は、フィリーズの提示した300万ドルという契約金に納得せず契約締結を留保、結局フィリーズは指名権を失ってしまいました(同選手は1年間独立リーグでプレーした後、翌年のドラフトでセントルイス・カージナルスに指名を受け、契約した)。
こうした事態が起こるようになると、低収入チームは有望新人選手とは契約できないと考え、指名権を失うことを恐れて有望選手の指名を見送るようになりました。往々にして成績の良い高収入チームは、ドラフト選択順で下位であっても、有望選手を手中に収めていくようになったのです。
これは、ドラフト制度の形骸化という意味ではNPBとも共通する問題点と言えます。しかし、選手の気持ちや代理人の思惑はコントロールできません。野球界としては、戦力均衡に向けて自らがコントロールできる事柄に集中すべきでしょう。その意味では、米国スポーツ界のドラフト制度改革は参考になるかもしれません。
例えば、MLBでは2002年からドラフト第1巡選手と契約できなかったチームに翌年のドラフトにて第1巡での追加指名権を、同様に第2巡選手と契約できなかったチームには、第2巡と第3巡の間のサンドイッチ指名権を与えています。また、実現には至っていませんが、指名選手がサインを拒んで翌年再指名を狙うことを禁止することや、プレーオフに進出したチームをドラフト第1巡から除外することなども検討されています。
また、先のマニング選手の一件の顛末ですが、実は同選手はドラフトの真っ最中にニューヨーク・ジャイアンツにトレードされています。マニング選手を指名したチャージャーズは、同選手を差し出す見返りに、ジャイアンツから
・ジャイアンツが1巡4位で指名したQBフィリップ・リバース選手
・2004年(つまり、進行中)のドラフト3位の指名権
・2005年のドラフト1位の指名権
を手に入れています。こうした芸当は、NFLでドラフト指名権のトレードが認められているからできるものです。
日本球界も、指名選手と契約できなかった球団に追加指名権を渡したり、指名権のトレードを認めるなどのアイデアを取り入れていけば、選手の“我がまま”に振り回されずに戦力均衡に資する柔軟で思い切った補強が可能になるかもしれません。
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