このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです
読者の皆様、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
2012年も引き続き米国から最新のスポーツビジネス情報をお届けしたいと思います。私は日本のスポーツ界を健全に発展させる一助になりたいと願う者です。私のコラムが参考情報として、あるいは反面教師として少しでも皆様の創造性を刺激する“考える糧”になることができれば幸いです。
さて、年をまたいでしまいましたが、MLBが推進する国際ドラフト構想に関するコラムの続編です。前回、私が伝えたかったメッセージを一言で言えば、「MLBが推進する国際ドラフト構想は日米間の選手移籍に大きなインパクトを与え得るもので、その動向を注視した方がよい」というものでした。特に、昨年締結された新労使協定に盛り込まれた世界ドラフトへの布石とも言える動きについては、ほとんど日本では報じられていなかったこともあり、警鐘の意味も込めてその背景等も含めてお伝えしました。
今回のコラムでは、実際に世界ドラフトが実施された場合、日米間の選手移籍にどのような影響が出る可能性があるのかを、もう少し具体的に考えてみようと思います。米国でも、昨年12月に世界ドラフトのあり方を協議する「国際タレント委員会」が立ちあがったばかりでまだ暗中模索の状況ですが、1つの思考実験として捉えて頂ければと思います。
米球界への移籍ルートを整理する
現在、日本人トップ選手の日本球界から米球界への主な移籍ルートとしては、日本野球機構(NPB)を経て移籍する【ステップアップ移籍】と、高校・大学・社会人野球などのアマチュア球界からNPBを経ずに移籍する【ストレート移籍】の2つに大別できます(話を簡単にするために、トップ選手を前提として進めます)。
前者の【ステップアップ移籍】では、一軍在籍9年を経て海外フリーエージェント(FA)権を取得して移籍する【FA移籍】と、FA権取得前にポスティング制度を利用して移籍する【ポスティング移籍】の2通りがあります。FA移籍では、どのMLB球団とも自由に交渉できますが、ポスティング移籍は入札で交渉権を得た特定球団としか交渉できないため、選手の交渉力は限定されます。
また、後者のNPBを経ずに移籍する【ストレート移籍】では、選手はどのプロ球団にも所属しないため事実上フリーエージェントとして扱われ、ステップアップ移籍のFA移籍と同様に、どのMLB球団とも自由に交渉することができます。
ステップアップ移籍とストレート移籍を比較すると、前者が日本のプロ野球界での実績を踏まえた移籍になるため、ある程度“品質保証”を受けた形になるのに対し、後者はプロでの実績が全くないため、選手・球団両者にとってハイリスクの移籍となります。
ところで、一昔前までは日本人選手がMLBに行ってプレーするなどという発想そのものがありませんでした。その既成概念を覆したのが、野茂英雄投手でした。野茂選手は近鉄バファローズを1994年に任意引退すると、事実上日本人初のフリーエージェント選手として翌年ロサンゼルス・ドジャースに入団します。その後の活躍は皆さんご存知の通りです。野茂選手の活躍に後押しされ、その後多くの日本人トップ選手が海を渡ることになります。
伊良部秀輝投手もそんな日本人選手の一人でした。同選手は、千葉ロッテマリーンズからサンディエゴ・パドレスを交えた三角トレードという形で1997年にニューヨーク・ヤンキースに移籍します。しかし、この移籍が他球団から槍玉に上がりました。「伊良部選手のようなトップ外国人選手の移籍が特定球団だけに持ちかけられるのはフェアでない」という批判が沸き起こったのです。結局、この騒動を経て現行のポスティング制度が設置されることになりました。
こうしてNPBを経由したFA移籍とポスティング移籍が制度化されることになったのですが、この時点ではまだ日本のトップアマ選手が米球界にストレート移籍するという事例はありませんでした(高校を中退して渡米したマック鈴木選手など、少数の例外はある)。MLB移籍は、NPBで実績を残した限られたトッププロ選手のものでした。この既成事実を打ち破ったのが、田澤純一投手です。
高校卒業後は新日本石油に入社した田澤選手は、社会人野球チーム新日本石油ENEOSのエースとして活躍します。同選手は、NPBからのドラフト指名が確実視されていましたが、日本球界入りを拒否してメジャーリーグ挑戦を表明し、2009年にボストン・レッドソックスに入団します。日本でのドラフト候補選手が米球界に渡った初めてのケースとして物議を醸しました。
単純な導入は日米球界双方の利益に反する
さて、ここまで簡単に米球界への移籍ルートを整理してみました。仮に、国際ドラフトが実施された場合、こうした移籍にどのような影響が生じる可能性があるでしょうか?
まずは、NPBを経由する【ステップアップ移籍】について考えてみましょう。
前回のコラムで解説したように、世界ドラフトの趣旨はドラフト外入団の外国人選手を減らして戦力均衡を促進させることです。対象となるのは、特定球団が保有権を持たないフリーエージェント選手ですから、【FA移籍】がその対象ということになります。ここでは、シナリオ(1)として「日本人FA選手が例外なく世界ドラフトに組み込まれることなる」ケースを考えてみましょう。このシナリオでは、いくつかの問題点が浮上します。
第1に、日本国内の海外FA権が無意味化します。せっかくNPB一軍在籍9年を経てどのMLB球団とも自由に交渉できる権利を得たはずが、国際ドラフトにかかれば前年度勝率の悪かったチームから順に指名を待たなければならなくなります。自由に球団と交渉することはおろか、契約金にも上限が設定されるので(新労使協定からこのように変更された)、年俸が下がる可能性すらあります。
第2に、FA移籍とポスティング移籍の逆転現象が起こります。前述のように、日本球界からのFA選手が世界ドラフトに組み込まれると、前年度下位球団(多くはスモールマーケットの貧乏チーム)からの指名を待たなければなりません。つまり、自分が良い選手であるほど、こうした弱小貧乏球団から指名を受ける可能性が高くなります。
一方、ポスティング制度の場合、最高額の入札金を提示した球団が独占交渉権を獲得します。こうした球団は往々にしてビックマーケットの金持ち球団ですから、自分が良い選手であるほど、常勝金持ち球団から指名を受ける可能性が高くなります。
こうした逆転現象が起こると、選手は皆ポスティングでの移籍を目指すようになるでしょう。これは、入札金が得られる球団の利害とも一致するため(FA移籍では金銭的な見返りがない)、恐らく入団8年目にかけてのポスティング移籍が増えるはずです。
しかし、現行のポスティング制度も戦力均衡の観点から問題を抱えています。現行制度では、選手獲得を希望するMLB球団が入札を行い、最高額を提示した球団が30日間の独占交渉権を得ることができる仕組みになっています。最近では、テキサス・レンジャーズが5170万ドル(約40億円)もの巨額の入札金を提示してダルビッシュ有選手の交渉権を獲得しましたが、実はこの入札金は管理費用として処理され、年俸として認識されないため、MLBの課徴金制度の対象になりません。
課徴金制度とは、球団の年俸総額に上限を設け、それを超えた球団にはぜいたく税を課すという制度で、球団間の年俸格差を縮め戦力均衡を高めることを目的とします。しかし、ポスティング制度の入札金は対象とならないため、金持ち球団が選手獲得に有利となります。つまり、戦力均衡に反する「抜け穴」になってしまっているのです。
以上から、日本人FA選手が例外なく世界ドラフトに組み込まれることになると、多くの選手がポスティング移籍を目指すことになり、結果としてMLBが目指す戦力均衡に反する結果となってしまいます。日本球界としても、多くの選手が海外FA権取得を待たずしてMLB移籍を目指すようになるのは更なる人材流出を後押しする要因となるので避けたいところでしょう。つまり、MLBの世界ドラフトは、少なくとも日本球界の現行FA・ポスティング制度改革とセットで考えなければ、日米球界共に望む成果は得られないということになります。
世界ドラフトの難しい点は、それを戦力均衡の趣旨から単純に運営しようとすると、外国人選手全てを「新人選手」としてひとまとめにして扱ってしまうため、自国球界で獲得された権利が無視されてしまう点にあります。世界に組織されるMLB以外のプロ野球では、恐らくNPBが最もレベルの高い野球を展開していると思われるので、日本球界がこの不整合をモロに受ける形になってしまうのです。
世界ドラフトを導入する際の1つの論点としては、この不整合をいかに解消・緩和するかというのがポイントになるでしょう。
ポスティング制度と合わせた改革が必要
では、次にシナリオ(2)として「FA移籍は現状維持で、ポスティング移籍を世界ドラフト経由にする」ケースを考えてみることにします。従来までの「最高入札額を提示した球団が独占交渉権を得る」という部分を「ウェーバー順のドラフト指名」に置きかえるイメージです。これは、FA選手を対象とする世界ドラフトの趣旨から考えるとイレギュラーなシナリオですが、前述のように日本人FA選手を厳密に対象として運用すると不整合が発生するため、着手しやすいポスティング制度改革を併せて行ってしまおうとするものです。
選手の立場から考えると、この“変則ポスティング制度”の損得は微妙です。というのも、ドラフト指名になるため弱小貧乏球団に指名されるリスクは高まる(つまり、全体の投資額は減る可能性がある)ものの、従来まで球団の懐に入っていた入札金が契約に上乗せされることになるからです。一方、球団にしてみれば入札金を丸々失うことになるので、大きなマイナスになります。
ポスティング制度は、球団が保有権を持つ選手を対象にしたもので、一種の「変則金銭トレード」と考えることができます。そのため、球団に全く見返りがないのでは、球団からの賛同は得られそうにありません。そこで、1つの案として米球界関係者の提唱する「スライディング補償制」をご紹介しようと思います。
これは選手のNPB在籍年数に応じてMLB球団と合意した年俸総額を按分し、それを補償金として所属していたNPB球団に支払うというものです。例えば、NPB1年目で移籍した場合はMLB球団と合意に至った年俸の9割、2年目なら8割、8年目なら2割というように補償額を算定し、所属していたNPB球団に支払うのです。こうすれば、選手と球団の利害をバランスすることが可能です。MLB球団としても、入札金がなくなるため投資判断がシンプルになります。
これはあくまで改革の一例ですが、ポスティング制度を改革する場合は、「戦力均衡」というMLBの利害、「海外でのプレーの機会」という選手の利害、「金銭的補償」というNPB球団の利害をどのように調整するかが鍵となるでしょう。ポスティング制度の改革という意味では、制度そのものを廃止して海外FAに統合するという案もあるかもしれません。
制度化されるアマチュア選手の流出
最後に、アマチュア選手による【ストレート移籍】を考えてみます。こちらは、【ステップアップ移籍】に比べると話は単純で、恐らく世界ドラフトが適用される可能性が最も高い移籍ルートになるはずです。問題になるとすれば、前述の田澤選手のレッドソックス移籍のように日米球界の“紳士協定”の部分でしょう。
日米間にはプロ選手の移籍に関してはポスティング制度のように明文化された協定はありますが、アマチュア選手については「お互い国のドラフト候補アマ選手には手を出さない」という紳士協定(契約による裏付けのない暗黙の了解)しかありませんでした。田澤選手のケースでは、NPBは「紳士協定違反だ」として反発したわけですが、この紳士協定自体、米国内では球団の自由な選手獲得活動を妨げるという意味で反トラスト法(日本の独禁法に当たる)に違反するという議論もあります。
結局、日本の球団は強行指名を見送り、田澤選手は移籍を果たしました。NPBは「ドラフト指名を拒否した選手が海外を経て日本に戻ってきた場合、高校出身者なら3年間、大学・社会人出身者なら2年間ドラフト対象から外す」という嫌がらせのような規定を新たに作ってその矛を収めたわけですが、これで紳士協定は有名無実化しました。
今、もし日本のアマチュア選手を対象にした世界ドラフトが実施された場合、アマトップ選手のメジャー流出が制度化されるリスクが生じることになります。紳士協定に効力がないことは、田澤選手の移籍が証明しました。日本球界が何も策を講じずに静観を続ければ、パンドラの箱が開かれるのは時間の問題かもしれません。
世界ドラフトのもう1つの顔
ここまでは、日本球界の視点からMLBの世界ドラフトの影響を考えてみました。ところで、世界ドラフトをもう1つ大きな視点から見てみると違った景色が見えてきます。
MLBでは、2011年シーズン開幕時点で833名の一軍登録選手のうち27.7%に当たる234名が外国人選手でした。国籍別でみると、最も多いのはドミニカ共和国で86名、次いでベネズエラが62名、日本はドラフト非対象国では4番目に多い10名となっています。つまり、日本人選手の占める比率はメジャー一軍登録選手のたった1.2%に過ぎないのです。
戦力均衡の観点から見ると、世界ドラフト導入による効果は日本人選手のインパクトは比較的小さく、ドミニカやベネズエラの方がはるかに大きいということになります。実は、こうした国々はMLBへの人材供給地として“系列化”されてきた所です。つまり、世界ドラフトには“系列子会社のからの部品供給の最適化”というもう1つの顔が存在します。
そして、実は日本球界でもこうした“系列化”された国々を他人事として思えなくなるような事態が近年起こってきています。次回のコラムでは、日本球界に迫りくる系列化の危機について書いてみようと思います。
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