このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです
米国で最もネットビジネスを成功させているプロスポーツはどれでしょうか? それはメジャーリーグ(MLB)です。MLBのネットビジネスの旗揚げについては、以前「“テレビの失敗”からの大逆転劇(上)~メジャーリーグ版YouTubeの裏に100億円近い設備投資」などでその経緯を詳述しました。
MLBのネットビジネスを統括するMLB Advanced Media(MLBAM)は、2000年に設立されて以来右肩上がりで成長を続け、10年後の2010年には6億8500億ドル(約548億円)の売り上げを記録しています。同年のMLB全体の年商が約70億ドル(約5600億円)ですから、年商の約1割をインターネットから生み出している計算になります。
実はこれはすごい数字なのです。というのも、現在MLBがリーグとして契約している全国放送テレビ放映権料の合計が約7億ドル(約560億円)ですから、MLBはたった10年でこれに匹敵する規模のマーケットを作り出してしまったのです(これとは別に各球団が独自に結ぶローカル放送テレビ放映権もある)。
表:MLBのテレビ放映権契約(全国放送)
契約年 | テレビ局 | 放映権料(合計) | 放映権料(1年平均) |
---|---|---|---|
2007-2013年 | FOX(地上波) | 18億ドル (約1440億円) | 2億5700万ドル (約206億円) |
2007-2013年 | TBS(ケーブル) | 10億4000万ドル (約832億円) | 1億4860万ドル (約119億円) |
2006-2013年 | ESPN(ケーブル) | 23億7000万ドル (約1896億円) | 2億9600万ドル (約237億円) |
出所:SportsBusiness Journal
しかし、実は今、盤石と思われたMLBのネットビジネスに暗雲が立ち込めています。「MLBのネットビジネスは反トラスト法(日本の独占禁止法に当たる)に違反する」として、ファンが5月9日にMLBAMらを提訴したからです。
MLBのネットビジネスが独禁法に違反するとはどういうことなのでしょうか? 今回のコラムでは、MLBのネットビジネスの特徴と、独占との紙一重で築かれたその脆弱性について解説してみようと思います。
訴訟の話に入る前に、簡単にMLBのネットビジネスをおさらいしておきましょう。MLBAMの売り上げの柱となっているのは、以下の3つです。
(1)オンライン試合中継などを提供する有料パッケージ「MLB.TV」の配信
(2)各球団のオンラインチケット販売代行(昨シーズンはMLBの年間総観客動員数の約半数に相当する約3500万枚のチケットをオンラインで販売)
(3)ネット広告収入
中でも特に大きな収入源となっているのが、(1)の「MLB.TV」の配信で、その有料視聴者は200万人を超え、MLBAMの約6割の売り上げに相当する4億ドル(約320億円)を稼ぎ出しています(2010年の実績)。今ではスマートフォンやタブレット端末対応のアプリ「At Bat」(アット・バット。「打席に立つ」の意味)を提供し、モバイル端末でのネット視聴環境も整いましたので、視聴者数はもっと増えているかもしれません。
MLBのネットビジネスの中核をなす「MLB.TV」の特徴
ちなみに、MLB.TVには「ベーシック版」(99.99ドル/年)と「プレミアム版」(114.99ドル/年)があり、それぞれ以下のサービス・機能が提供されています。
表:MLB.TVの提供する主なサービス・機能(2012年シーズン)
主なサービス・機能 | MLB.TVベーシック | MLB.TVプレミアム |
---|---|---|
ハイビジョン(HD)放送 | ○ | ○ |
アーカイブ(過去の全試合) | ○ | ○ |
ラジオ音声放送 | ○ | ○ |
DVR機能(一時停止、巻き戻し等) | ○ | ○ |
ハイライト・スタッツの提供 | ○ | ○ |
ツイッター書き込み | ○ | ○ |
ファンタジーゲーム用選手追跡 | ○ | ○ |
ホーム&アウェー選択(映像・音声) | × | ○ |
マルチ画面映像 | × | ○ |
「At Bat」の無料購読 | × | ○ |
テレビゲーム端末での視聴 | × | ○ |
出所:MLB.com
ところで、MLB.TVで提供されるオンライン中継には大きな特徴があります。それは、原則としてアウターマーケット(視聴者の居住地以外のフランチャイズ)の試合しか見ることができない。つまり、ローカルテレビ放送とネットで同時に同じ試合を視聴することはできないという点です。
これは通称「ブラックアウト・ルール」と呼ばれており、例えばニューヨーク・ヤンキースのローカル放映権を持つYESネットワークの視聴可能地域でMLB.TVを通じてヤンキースのホームゲームを視聴しようとしても、黒塗りの画面しか映らないような規制が掛けられています。
ブラックアウト・ルールが生まれた背景については、「“テレビの失敗”からの大逆転劇(中)~ネットでスポーツ界を制するMLB」で解説したので今回は詳しくは触れませんが、要はMLBのビジネスモデルの根幹を支えているローカルテレビ局の放映権を守るための仕組みです。そして、この仕組みこそが、今回の反トラスト法訴訟で焦点となっているのです。
原告が主張しているのは、MLBAMが提供する「MLB.TV」は以下の2点で顧客の利益を不当に害する取引制限に当たるという点です。
(1)地元ホームチームの中継がブラックアウトされてしまうため、地元ケーブルテレビへの加入を強いられる
(2)見たくもないチームの試合までパッケージされており、不当に高い料金を請求されている
少し補足すると、(1)の主張は、MLBAMが独占的にMLB.TVのサービスを提供し、勝手にブラックアウト・ルールなるものをこしらえてしまったため、地元チームの試合を視聴したいファンはケーブルテレビへの加入を強いられる。このケーブルテレビ局への独占権の付与が不当に高いケーブル視聴料を顧客に転嫁している、というものです。
また、(2)の主張は、自分は応援しているチームの試合だけを見られればいいのに、見たくもないチームの試合もすべてパッケージされて必要以上に高い値段で売られている。つまり、チームごとにばら売りにしてくれたら、もっと安い値段で購読できるはず、というものです。
前述のように30チームを対象にしたMLB.TVのベーシック版は年間99.99ドルですから、単純計算で1チーム3.34ドルで1年間視聴可能ということになります。
要するに、原告はMLB.TV(MLBAM)は違法なカルテルであり、テレビとインターネットで意図的に反競争的な環境を作り出すことで顧客に不当な金銭的負担を強いていると主張しているのです。
MLB.TVは違法なカルテル?
仮に原告の主張が認められると、MLBは2つの点で大きな打撃を受けることになります。1つ目は、MLBが10年かけて育ててきたネットビジネスの柱が折れてしまう点です。パッケージ販売ができなくなり、ファンが視聴対象チームを選択できるようになれば、MLB.TVからの収入は大幅に減少するでしょう。
2つ目は、ローカル放映権ビジネスへの影響です。ブラックアウト・ルールが違法と判断されれば、ファンはテレビ中継と同じ映像をネットでも視聴できるようになります。これは1点目とも関連する部分ですが、個別販売で安価にネット中継を楽しめるようになれば、高価なケーブル料金を嫌って、いわゆる“コード・カッティング”(ケーブルテレビの契約を止めてインターネット経由の動画視聴を選択)する顧客も現れるかもしれません。
こうなると、ローカルテレビ局も従来のようには快く高額な放映権を支払わなくなるでしょう。何よりも、MLB自身が自分のお客様のビジネスを毀損してしまうわけですから、テレビ局から「MLB.TVのサービスを止めて欲しい」という声が上がるかもしれません。そうなれば、MLBが行ってきたMLBAMへの何億ドルもの投資は水泡に帰してしまうのです。
しかし、原告の主張が認められるためには、2つの超えるべき“壁”が存在します。
1つ目の“壁”は90年前の判決です。実は、MLBは1922年に最高裁から「反トラスト法の対象にはならない」という判決を受けています。これは、「反トラスト法免除法理」などと言われるのですが、MLBはこの判決により米スポーツ界で唯一、反トラスト法の適用を免れています。
MLBに吸収合併された競合リーグ「フェデラルリーグ」のオーナーが、MLBの和解案を不服として1916年にMLBを反トラスト法違反で提訴しました。MLBは共謀して、アメリカでの野球事業の独占を企てているというのです。
結局、この裁判は最高裁までもつれたのですが、裁判所は「野球は純粋な州内行事であって州際通商(州をまたがるビジネス)には当たらない。よって、反トラスト法の適用対象とはならない」という判決を1922年に下したのです。反トラスト法で訴えるためには、対象となる商行為が州をまたがる行為であることが必要要件でしたが、当時の野球興業は州をまたぐほど大きなビジネスとは認識されなかったのです。
この判決は、その後いくつもの裁判で争われ、下級審では「ラジオやテレビの出現により野球は明らかに州際通商となり、反トラスト法の適用範囲になる」と判断されたこともありました。しかし、先に出された判決が有効となる「先例拘束性の原理」と呼ばれる米国の司法慣例により、1922年の最高裁判決が覆されることはありませんでした。
その結果、裁判によりMLBの反トラスト法免除法理が認められる範囲の認定がまちまちとなっている他、判決は11ある米国の巡回裁判区のうち3つしかカバーしておらず、多くの曖昧さが今もって残る状況になっています。
今回の裁判では、裁判所がMLBの反トラスト法免除法理をどこまで認めるのかが大きな焦点となるでしょう。
原告に立ちはだかる2つの壁
2つ目の“壁”は約50年前の法律、「1961年スポーツ放送法」(Sports Broadcasting Act of 1961)です。この法律は、リーグ一括のテレビ放映権契約を反トラスト法の対象外とするものです。
実は、米プロフットボールリーグ(NFL)でも、今回の訴訟と同様にリーグ主導のメディアビジネスが反トラスト法に違反するのではとの疑いを持たれたことがありました。
詳細は「チームと都市のパワーゲーム(下)~移転と地域密着を両立させる戦略的取り組み」に譲りますが、従来までチームが個別に交渉していたテレビ放映権をリーグが一括交渉することにより、NFLは放映権収入を3倍に増やすことに成功します。しかし、「リーグと球団が共謀を図ることにより、テレビ局に放映権を不当に高い値段で販売しているのではないか」という疑いをかけられ、コミッショナーやチームオーナーが議会から尋問を受けることになりました。
この時、コミッショナーのピート・ロゼール氏は「NFLは社会の公共財である」というコンセプトを打ち出し、議会に対してロビー活動を展開します。反トラスト法は「公共の利益に反する不当な取引制限」を規制するものですから、公共の利益に資する活動であれば、反トラスト法の違反にはならないという発想です。結局、これが功を奏し、前述の法律が制定されたのです。
問題は、MLB.TVが提供するネット中継が「スポーツ放送法」の対象となるかどうかです。同法は、地上波テレビ放送を念頭に置いた「CMのある放送」(sponsored telecasts)のみを反トラスト法適用除外としています。言うまでもなく、この法律の制定当時、インターネットなるものは存在しなかったわけですから、想定外のメディアによる中継について、裁判所がどう判断するのかが注目されます。
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