このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです
前年同時期比の公式グッズの売り上げが何と30倍。これが「ブルックリン」のブランド力なのか──。
何の話をしているかというと、全米バスケットボール協会(NBA)に所属する新生ブルックリン・ネッツの話です。昨年まで「ニュージャージー・ネッツ」と呼ばれていた球団は、今年から本拠地をブルックリンに移し、「ブルックリン・ネッツ」として生まれ変わりました。
ただし、移転したといってもニュージャージー州からハドソン川とイースト川の2つの川を超えただけ。直線距離にして10マイル(16km)ほどしか離れていません。日本で例えるなら、千葉ロッテマリーンズが江戸川と荒川を超えて都内に移転してきたようなイメージです。
でも「ブルックリン」は魔法のブランドです。マンハッタンが世界中のビジネス成功者が集うエスタブリッシュメントの街ならば、ブルックリンはアーティストやミュージシャンといったエッジの効いた人々が住む、常に流行の一歩先を行くクールな街というイメージがあります(個人的な感想で、異論もあるでしょう)。
今回のコラムでは、街のブランドが球団経営に与えるインパクトについて、ネッツの移転劇をケーススタディーとして考えてみることにします。
移転前はニューヨーカーから相手にされていなかった
移転直前のニュージャージー・ネッツは、控えめに言ってもあまりパッとしないチームでした。2007年以来プレーオフから遠ざかり、観客動員数は常にリーグ最下位レベル。ニューヨークのスポーツファンからもほとんどまともに相手にされていませんでした。
ネッツには同情すべき点もあります。ニューヨークには、同じNBAでは名門ニューヨーク・ニックスが、マンハッタンの中心部にあるマジソン・スクエア・ガーデンに居を構えていますし、それ以外でもヤンキースや昨年スーパーボウルを制覇した米プロフットボール(NFL)のニューヨーク・ジャイアンツなど、4大メジャースポーツの9球団がひしめいているからです。
「激戦区」の上、「弱い」、「遠い」(マンハッタンから川幅1キロ以上のハドソン川を渡るニュージャージー州には地下鉄網があまり発達しておらずアクセスが悪い)。この三重苦に見舞われたネッツは、残念ながら他球団の後塵を拝することしかできませんでした。数字はそれを如実に物語っています。
グラフ:NY近郊メジャー球団の資産価値(単位:百万ドル)
グラフ:NY近郊メジャー球団の観客動員数(昨シーズンの1試合平均)
グラフ:NBA球団の観客動員数(昨シーズンの1試合平均)
ご覧のように、ネッツはニューヨーク近郊の9つのメジャー球団の中では、球団資産価値も観客動員数も下位に沈んでいます。NBA球団の中で昨年の観客動員数は最下位でした。
地元のニュース局「NY1」とマリスト大学が今年10月に実施した合同調査で、「この20年間、ニューヨークで最高のチームと言えばどこか?」の問いに「ネッツ」と答えたニューヨーカーは残念ながら一人もいませんでした(63%がヤンキース、15%がジャイアンツと回答)。
ブルックリンに移転して状況は様変わり
しかし、ネッツがブルックリンに移転して以来、状況は一変します。
まず、昨シーズン(ニュージャージー・ネッツとしての最後のシーズン)終了直後の今年7月からシーズン開幕直前の10月末までの4か月間の公式グッズの売り上げは、冒頭でも述べたように前年度の同時期比で3000%増と脅威の伸びを見せたのです(下表を参照)。
表:公式グッズの売り上げ伸び率上位ランキング(昨年同時期比)
驚くべきことに、新生ブルックリン・ネッツのロゴとチームカラーをお披露目し、公式グッズを売り出した4月30日からの最初の2日間の売り上げは、ニュージャージー・ネッツの10年分の売り上げに相当する金額でした。
ブルックリン・ネッツのロゴは、スポーツチームとしては斬新な白と黒のモノトーンで、チームオーナーの一人で、ブルックリン出身のヒップホップ・アーティスト=ジェイ・Z氏が手掛けました。デザインは、初期のニューヨークの地下鉄の標識に着想を得たもので(初期の地下鉄標識はモノトーンだった)、「時代に試され、末永く残っていくものの象徴」との意味が込められているそうです。
驚くのはまだ早いです。シーズン開幕前の10月末の時点で、既に1万1000人分のシーズン席が売れていました。ネッツが本拠地とするバークレイズ・センターの観客収容人数は1万7734人ですから、アリーナの6割強の座席をシーズン席で埋めてしまった計算になります。スポーツ界で働く人なら、この数字の凄さが分かるでしょう。
このように、ネッツは35年間フランチャイズを置いたニュージャージー州を離れ、ブルックリンに移転することで、公式戦を1試合も行うことなくビジネス面でロケットスタートを切ることに成功したのです。
変化のきっかけは外国人オーナー
興行成績がパッとしなかったネッツには、1990年代から本拠地移転の噂が絶えませんでした。それを一歩前進させたのが、2005年にネッツを3億ドル(約240億円)で買収したブルース・ラトナー氏率いる投資家グループでした(米人気ラッパーのジェイ・Zもこのグループの一員)。
不動産開発業者だったラトナー氏は、当時ブルックリンのアトランティック操車場の再開発プロジェクトを手掛けていました。しかし、地権者との交渉が複雑だったため、ネッツを買収・移転させることで、一気に事を片付けようとしたのです。実は、「公共施設建設のためなら、地権者の同意がなくとも州が土地を接収してそれを施設のオーナーに手渡すことができる」という判例があったのです。
しかし、世界同時不況がそれに水を差しました。資金繰りに窮したラトナー氏が救いを求めたのが、現オーナーのロシア人実業家、ミハイル・プロホロフ氏だったのです。同氏は7億ドルを融資してラトナー氏の再開発プロジェクトの命脈を保つとともに、2012年には球団株式の80%と新アリーナの株式45%を2億ドルで買い取り、NBAオーナーとなります。
以前、「中国資本と欧州モデルに活路見出すNBA 互いのノウハウを学び合う欧米スポーツビジネス界(上)」でも解説しましたが、近年NBAは桁違いの財力を有する外国人富豪にも球団オーナーへの道を開放しつつあります。既に英プレミアリーグなどは、早くから外国人投資家に球団オーナーの門戸を開放して成長性を高めてきたのは指摘した通りです。
こうしてネッツは、外国人富豪の財力の助けを借りて、当初の目論み通りアトランティック操車場に新アリーナ、バークレイズ・センターを建設し、移転に漕ぎ着けたのでした。
タブーを恐れぬ捨て身の演出
私も先週(10月15日)、移転後初めてネッツ戦を観戦してきたのですが、ブランド一新を機に一気に攻めに転じた様子がうかがわれました。
まず驚いたのが試合前の練習風景です。ジェイ・Zがオーナーの1人とあってか、ヒップホップが練習中にガンガンにかかっています(余りの大音量に、映像が震えているのが分かると思います)。アリーナ内は、少し照明を暗めにして、ネッツのロゴの形をしたサートサイトが観客席を走り回ります。まるでナイトクラブでバスケットボールの試合を観ているようです。
試合中もほとんど無音の時間がなく、絶えずアップテンポの音楽がかかっています。特に、味方のオフェンス中にも音楽を消さない点にはびっくりしました(普通、プレー中は選手に配慮して音楽を消す)。
また、「ブルックリン・ナイト」(Brooklyn Knight)と呼ばれるアメリカン・ヒーローのような謎の騎士がチームマスコットになっているのも話題です。試合前はアリーナ内でファンとの写真撮影に応じ、試合中は観客席やコンコースを積極的に動き回って雰囲気を盛り上げています。
個人的には、バスケットボールの試合をじっくり観たいファンや、中高年層などはこうした演出を必ずしも快く思わないのではないかと思いましたが、タブーを恐れず、若者層を主なターゲットに捨て身でファン開拓に注力しているネッツの姿はひしひしと伝わってきました。さて、このネッツの実験は吉と出るでしょうか、凶と出るでしょうか。
「箱を変えれば1年は持つ」というのが、業界関係者の間での定説です。つまり、施設の真新しさから「せっかくだから一度は足を運んでみよう」という“ご祝儀市場”を生み出し、初年度の観客動員数は大きく増えるのです。
つまり、本当の勝負は2年目以降ということになります。正確に言えば、新規顧客が瞬間的に増えている1年目の間に、ファンを来期以降の継続的に来場して頂くための仕掛けづくりが重要になるのです。この間、ご祝儀に胡坐をかいて仕掛けを忘れると、2年目以降に痛い目に遭うことになります。
1年目の勢いを生かすことができるか
球団・施設移転は、ファン以外にもポジティブな影響を与えることがあります。例えば、同じNBAのダラス・マーベリックスのケースがそうでした。2000年に同球団のオーナーとなったマーク・キューバン氏は、「最高の環境が最高の選手を作る」という自身のポリシーの下、翌年オープンした新アリーナのロッカールームを目一杯豪華にしたそうです。日本的に言えば、「まずは形から入る」ということになるでしょうか(こうしたこともあってか、マーベリックスはプレーオフ進出の常連となり、2011年にはついにNBA初優勝に輝きます)。
日本でもJリーグがそうでした。日本サッカーリーグ時代は観客席で閑古鳥が鳴いていましたが、プロリーグ開幕と共に400万人の観客がスタジアムに押し寄せました。今年で開幕20周年を迎えたJリーグは、観客動員数900万超、リーグ全体収入900億円超のプロリーグに一気に成長しました。
「ブルックリン」という新たな着物をまとったネッツがどのような変貌を遂げるのか、今から楽しみにしています。
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