このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです
前回のコラムでは、全米大学スポーツを統括している全米大学体育協会(NCAA)が大きな商業的成功を手にしている一方で、巨額のマネーを生む労働力を提供している学生選手には「アマチュア規定」を理由に適切な対価を支払っていないのではないかとする議論が盛んになってきている。その背景を解説しました。
大怪我でアマチュア規定の理不尽さが露呈したルイビル大学のケビン・ウェア選手ですが、同選手が見守る中でルイビル大学は見事優勝の栄冠を手にすることができました。ただし、これには後日談があります。
男子決勝の翌日に女子バスケの決勝戦が行われました。ルイビル大学は、女子も決勝進出を決めていたので、ヘッドコーチの計らいで、チーム全員で女子決勝戦を応援に行こうという話になりました。男子決勝が行われたアトランタから、女子決勝の開催地ニューオリンズまでは約750km離れており、ちょうど東京-広島間ほどあります。この飛行機代をコーチと大学で負担する手はずだったのですが、NCAAはこれが「不適切な利益供与になる」と認めませんでした。
こうなると、一体誰のために何を目的にするアマチュア規定なのかよく分かりません。今回のコラムでは、アマチュア規定が生み出す不合理やそれに対する批判、学生への報酬モデルなどについて解説してみようと思います。
手段が目的化してしまったアマチュア規定
NCAAのアマチュアリズムの根幹を規定しているのが、いわゆる「健全規範(Sanity Code)」と呼ばれる規則です。1948年に導入されたこの規範は、学生選手がその身体能力を用いて必要以上の対価を得てはならないとするもので、学生選手が手にできる対価を奨学金に限定するものです。
実は、この「健全規範」が適用される以前のNCAAでは、規則に反して選手への金銭的対価の支払いが公然と行われていました。例えば、1929年にカーネギー財団が大学スポーツビジネスの現状を調査した通称「カーネギー・レポート」では、約4分の3の加盟校が選手に裏金を渡している実態が明らかにされました。裏金は、選手のリクルーティングや、入学後に授業料や生活費を負担する目的で渡されていたようです。
NCAAはこうした不正が公然と行われている状況を改革すべく、学生選手への金銭的対価の支払いを禁止する「健全規範」を導入することになったのです。しかし、この規範が導入された1948年から既に65年が経過しています。その間、NCAAビジネスは飛躍的に拡大し、社会的常識と乖離した規範が前述のような軋轢・批判を度々生むようになってきています。手段が目的化してしまったのです。
「健全規範」が「不健全」の温床に
現在の米国トップスポーツ大学の現状は概ねこのようになっています。
カネを生み出すのはアメリカンフットボール部と男子バスケ部の2つです。この2つの運動部が大学スポーツビジネスのエンジンです。例えば、テキサス大学はフットボール部だけで年間1億ドル(約100億円)以上の収入を稼ぎ出しますし、ルイビル大学男子バスケ部は4000万ドル(約40億円)以上のマネーを大学にもたらします。
この2つのスポーツで稼ぎ出された収入が、ほかの競技の維持・管理費やコーチ・職員の人件費、施設の改修費などに回されます。特にコーチ年俸は近年高騰を続けており、強豪アラバマ大学フットボール部のヘッドコーチ、ニック・セイバン氏の年俸は550万ドル(約5億5000万円)、ケンタッキー大学バスケ部監督のジョン・カリパリ氏の年俸は500万ドル(約5億円)とプロ顔負けです。
高給取りはコーチだけではありません。大学体育局(Athletic Department。運動部全体の経営を管理する部署)の幹部職員の平均年収は40万ドル(約4000万円)を超えます(2009年HBO Real Sports Special調べ)。
今月に入り、NCAA(加盟大学は含まれない)の2012年の決算内容が明らかになったのですが、その収入は8億7200万ドル(約872億円)で、過去最高となる7100万ドル(約71億円)の黒字となっています。彼らを潤しているのは、紛れもなく学生選手が生み出したマネーなのです。しかし、学生選手が手にできる金銭的対価はいくらでしょうか? ゼロです。
これだけ情報開示が進んでいる世の中ですから、学生選手も当然こうした現状は知っています。「学生の本分は学業だから、スポーツができる機会だけでありがたい」などと考える物分かりの良い学生ばかりではありません。ここまで露骨に格差があると、「俺たちが稼いだ金でいい暮らししやがって」「俺たちにも分け前をよこせ」と考えるトップアスリートがいても不思議ではありません。
こうした状況が、前回のコラムでも紹介した学生選手による不正を生み出す根本的な原因になっていると言われています。「健全規範」が「不健全」な状況を作り出しているのは、何とも皮肉です。
NCAAの理想と現実
フットボールと男子バスケが大学スポーツの双璧という話をしましたが、これはなぜだと思いますか? “米国4大メジャースポーツ”と称される競技には、ほかにベースボール(野球)とアイスホッケーがあります。しかし、大学野球やアイスホッケーが大きな収益を生み出すという話はあまり聞きません。
実は、プロフットボールリーグ(NFL)とプロバスケットボール協会(NBA)にはマイナーリーグがありません。この2つの競技だけ、大学がマイナーリーグの役割を担っているのです。野球(MLB)とホッケー(NHL)には、重層的に組織されたマイナーリーグが存在します。この違いが、現在の大学スポーツビジネスの様相を決定づけています。そして、この裏には、プロ・アマ間の巧妙な仕掛けがあるのです。
野球とホッケーでは、良い選手は高校卒業後にドラフトにかかりマイナーから鍛えられることになりますが(つまり、トップ選手が大学に行かないケースが少なくない)、フットボールとバスケでは、高卒即プロ入りは認められていません。NFLは高校卒業から2年以上、NBAも高校卒業から1年以上経過しないとドラフトの資格を得ることができません。「高卒直後ではプロの激しいコンタクトに耐えることができない」ことがその理由とされていますが、結果的にこの決まりが大学スポーツビジネスの権益を守っています。
さて、これを選手の立場から見たらどうでしょう。プロ入りを嘱望され、一刻も早くプロになりたいトップアマ選手にしてみれば、大学は“仕方なく行かなければならない場所”に映るかもしれません。あるいは、“選手としての技能を高めるためのトレーニング期間”と考えるかもしれません。果たして、彼らがNCAAの求める「スポーツより学業を優先する学生」であるかはかなり疑問です。
NCAAの収入の90%は上位1%の学生選手により生み出されていると言われます。しかし、誤解を恐れずに言えば、NCAAを潤しているこのようなトップアマ選手が、実はNCAAが理想とする学生像とは最も離れた位置にいる学生なのです。
NCAAの偽善を突く2つの批判
NCAAが抱えるこうした矛盾や偽善に対する批判は、概ね次の2つに分類できます。
1つは、「資本主義」の視点からルール違反だとするものです。ノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のゲーリー・ベッカー教授などは、この批判の最右翼かもしれません。市場主義を重視するシカゴ学派の重鎮は、次のようにNCAAを批判しています。
「社員への報酬を制限し、違反者へ罰則を科す企業の集合は通常、雇用カルテルとみなされる。NCAAが学生選手に科している制限も、これと何ら変わりない。特に、この制限はフットボールやバスケットボールのトップ選手に影響を与えるが、彼らの多くは黒人やマイノリティーといった低収入学生である」(訳は筆者による)
もう一方の批判は、「公正さ」(フェアネス)や「人権」に関するものです。ピューリッツァー賞を受賞した歴史家で、人権活動家としても有名なテイラー・ブランチ氏が2011年にアトランティス紙に寄稿した「大学スポーツの恥辱(The Shame of College Sports)」と題するコラムは、多くの読者の共感を呼びました。同氏は次のように批判しています。
「多くのファンや教育者は、アマチュアリズムが絶対で、学生選手に報酬を払えば大学スポーツはその品位を失うと信じている。私もかつてはそうだった。しかし、NCAAは巨額の富を稼いでおり、大学や企業の金儲けを手伝っている。その源泉は、若い選手の無給労働だ」
「奴隷制度の比喩は注意深く使わなければならない。第一、学生は奴隷ではない。しかし、現状は企業や大学が無給で働かせた若者のお蔭で懐を潤している。“学生選手”という定義が、憲法で保障されている公正な法手続きを受ける権利を学生から奪っている。これはまぎれもなく植民地の発想だ」
「学生選手は奨学金という形で既に対価を得ている、とする意見もある。教育者によるこの言い逃れが、私のアマチュアリズムに対する最後の絆を断ち切った。これは、利己的な言い訳にしては性質が悪すぎる。これは、奴隷への不当行為より天の救済の方が重要であると主張したかつての農場所有者と瓜二つだ」
「大学スポーツが盛んになるや、宗主国は世界をひっくり返し、自らの利益はあるべきもので、罪なきものだと定義してしまった。それ故、NCAAは学生選手に正当な対価を支払うことを、憎むべき試みだと言うのである」(訳は筆者による)
アイデア百出の報酬モデル
このような批判から、学生にも正当な対価を払うべきとする意見が存在感を増しています。ここでは、その中で代表的な報酬支払モデルについてその概要を紹介しようと思います。
まず、最も急進的なアイデアが、学生スポーツを完全にプロ化してしまうという「完全プロ化」モデルです。プロリーグと同様に、すべての学生選手との間に年俸を定めた選手契約を結ぶのです。戦力均衡を図るために、チームごとに年俸総額の上限を規定するサラリーキャップ制度が導入されます。プロとの違いは、契約する選手が学生であることと、試合会場が大学施設になることくらいでしょうか。
さすがにこれは急進的すぎるかもしれない、という人には、「プロ・アマ混合モデル」がお勧めです。これは、一定数の選手に限りプロ契約を認めるというものです。例えば、フットボールなら85人の選手枠中、10人とか15人はプロ契約選手を認めるというものです。残りの選手枠は、従来通りの学生選手が埋めることになります。プロ化を前提とした急進的な改革には、当然「健全規範」の改正が必要になります。
学生選手のプロ化に抵抗がある場合は、プレー以外の領域で補助的な経済活動を認めることが考えられます。これにはいくつかの選択肢がありますが、例えば米オリンピック委員会が行っているように、選手に自らの肖像権を利用した収益活動を認めるものです。現在、学生選手の肖像権はNCAAが管理し、「教育振興目的」で活用するという名目で実際は巨額の富を生み出している訳ですが、この権利を学生に差し戻すのです。
あるいは、選手に企業との「エンドースメント契約」を認めるという選択肢もあるかもしれません。有望選手はプロに転向した途端にナイキやアディダスといった会社と巨額の契約を結ぶことも珍しくないですが、これを学生時代に解禁するのです。または、バイトを解禁するという手もあります。学生時代に家庭教師のアルバイトをすることは珍しくないと思いますが、同様にクリニックやサマーキャンプを開催して子供たちにフットボールやバスケットボールのスキルを教えるのです。
もし、こうした補助的経済活動の収入が「健全規範」に反するというのなら、その支払いを卒業後まで留保しても良いでしょう。信託基金を作り、学生時代に稼いだ収入はそこで一旦保管し、卒業後に分配するのです。これなら、学生時代に分不相応な収入を得ることもなくなります。
いずれにしても、NCAAの独善的なアマチュアリズムに対する風当たりはこれまでにないほど強まっています。これに対して、NCAAもその批判を認識し、現実に合った形で規定の見直しに着手しようとしています。2011年には、NCAA理事会が奨学金とは別に年2000ドル(約20万円)の給付金を学生選手に提供する改革案を提示しました(しかし、加盟大学の反対にあって実現せず)。
ただし、先のブランチ氏による批判にもあるように、NCAAでは、アマチュアリズム自体が組織のレゾンデートルになっているため、自助努力による改革には限界があるかもしれません。その意味では、前回のコラムで触れたオバンノン訴訟の行方が、米国における大学スポーツビジネスの在り方の命運を握っていると言えるかもしれません。
最近のコメント