このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです
前回は、3月26日に全米労働関係委員会(NLRB)が下した「奨学金を得ている学生選手は労働者と認められる」という歴史的判断について解説しました。要は、奨学金を得てプレーしている学生選手は、プロスポーツ選手と同様に見なすことができるということです。
ちょっと日本の感覚では理解しがたいかもしれません。しかし、その背景にはアメリカの大学スポーツ界がプロ顔負けの巨額のマネーを生み出し、学生選手も学業よりもスポーツを優先し、実質的に“プロ選手”として大学生活を送っているという実態が指摘されています。
『学生スポーツのアマチュア規定は幻想?(下)~米国の大学スポーツは人権侵害のカルテルか』などでも書きましたが、学生への対価の支払いを禁じた“アマチュア規定”を盾に全米大学体育協会(NCAA)が高収益のビジネスモデルを享受してきたことに対しては、人権侵害の違法なカルテルであるといった批判がなされてきました。NCAAの独善的なスタンスに対する風当たりがかつてないほど強まってきていた中で、NLRBは明確に“アマチュアリズムという幻想”を指摘した形になりました。
今回は、NLRBの歴史的判断が及ぼす影響や、今後の展開、問題点など、アメリカ大学スポーツの未来について考えてみようと思います。
歴史的判断の影響範囲
頭を整理するために、今回のNLRBの判断が先例として適用され得る影響範囲について考えてみましょう。「学生選手は労働者である」という解釈がすべての大学のあらゆる学生アスリートに適用されるわけではありません。
厳密に言えば、今回の判断は「ノースウエスタン大学フットボール部」のみを対象にしたもので、それ以外には直ちに適用されません。あくまで個別の判断という位置づけですが、似たような条件下にある大学運動部が同様の訴えを起こせば、今回の判断が先例として適用される可能性は高いわけです。
影響範囲を規定する条件として、最初に挙げられるのは「奨学金を受け取っている学生」に限定されるという点です。ノースウエスタン大学フットボール部には112人の部員がいましたが、そのうち奨学金を得ていた学生(つまり、スポーツ推薦で入学した学生)は85人で、残りの27人はこの判断の対象にはなっていません。
また、労働者性を認められる前提として、その運動部がビジネスとして機能していることが認められる必要があります。現在、米国で多額のマネーを生み出す力を持っているのは、アメリカンフットボールと男子バスケットボールの2競技だけでしょう。
さらに、NLRBの裁量管轄権が及ぶのはプライベートセクターに属する組織だけという点も見逃せません。つまり、大学機関で対象になるのは私立大学だけで、公立大学には管轄権が及びません。
現在、NCAAの最上位カテゴリーに当たる「ディビジョンI」には351の大学が所属していますが、うち私立大学は117校(全体の約33%)です。残りの234の公立大学には、それぞれの州の労働法が適用されることになりますが、現在全米50州中24州の労働法は、州の公共機関で働く労働者が労働組合を設立することを禁止、あるいは大きく制限しています。
こうして考えてみると、ノースウエスタン大学フットボール部に対して下された判断が現時点で先例として直接的に適用し得る範囲は限定的であることが分かります。ただし、州の労働法は民間の先例に倣う傾向があると言われており、長期的に見れば適用範囲が拡大していく可能性はあります。
図:今回のNLRBの判断が先例として適用され得る範囲
NCAAに反撃の機会はあるのか?
NLRBの歴史的な判断を受け、ノースウエスタン大学フットボール部は4月25日に学生労組設立の可否を問う投票を実施しました。ここで労働組合結成が認められれば、米国スポーツ史に残る学生労組の発足となったわけです。しかし、開票作業は現時点で凍結されています。
実はこの投票の前日、ノースウエスタン大学側がNLRBに対して起こしていた異議申し立てが受理されたのです。「学生選手は労働者」という3月のNLRBシカゴ支部の判断は、同大学にとって到底容認できるものではありません。同大学は、先の判断には事実誤認があるとして、NLRBのワシントンDC本部に控訴したのです。開票作業は、この異議申し立ての審理が終わるまで延期されることになりました。
仮に異議申し立てでもNLRBからその主張を退けられることになれば、残る選択肢は裁判を起こすしかなくなります。NLRBの判断は、控訴裁判所にて争うことが可能です。NCAAにとっても、半世紀以上に渡り守り続けていたモデルが危機に瀕しているわけですから、ノースウエスタン大学を全面的にバックアップして最高裁まで徹底抗戦で臨むことになるでしょう。
考えられる今後の展開や問題点は?
NCAAにとって最悪のシナリオを考えてみましょう。NLRBに対するノースウエスタン大学の異議申し立てが退けられ、その後の法廷闘争にも敗れた場合です。
まず、ノースウエスタン大学に倣って、私立大学の運動部から続々とNLRBに対して労組設立の許可を求める動きが出てくる可能性があります。学生労組が設立された運動部は、大学と団体交渉を行い、学生選手への報酬や健康保険、労災、年金など労働者としての権利について協議を行うことになります。
大学側が合理的な理由なく団交に応じなければ不当労働行為になります。学生側にはストライキを行う権利も当然与えられることになります。プロスポーツと全く同じです。こうなると、大学内での富の分配方法が変化を強いられることになるでしょう。
現在は、程度の差こそあれフットボール部と男子バスケットボール部の稼ぎ出すマネーがコーチ陣や大学体育局職員の人件費、ほかの運動部の活動資金、体育施設(スタジアム、アリーナなど)の建設原資などとして活用されています。これにより、大学全体として高い競技環境が整備できているわけです。
しかし、この“稼ぎ頭”が「公正な取り分」(Fair Share)を求めて労使交渉を行えば、相対的にそれ以外の競技に回るお金は少なくなります。結果、儲かるスポーツとそれ以外の競技間格差が拡大していくことになるでしょう。大学スポーツの花形であるフットボールとバスケットボールが合同ストライキでも起こそうものなら、大学としては兵糧攻めに遭っているようなもので、ひとたまりもありません(スポーツファンとしては、想像したくない事態ではありますが)。
さらに、大学間の格差が拡大する恐れもあります。前述したように、NLRBの判断は私立大学にのみ適用されるものです。私立大学の運動部にだけ学生労組が設立されれば、当然そちらの学生アスリートの待遇が公立大学よりも良くなっていくはずです。そうなれば、リクルーティング活動でも私立大学が有利になるでしょう。
公立大学でも名門運動部は、(学生労組の設立を認めるかどうかはさておき)私立に負けじと学生アスリートへの待遇を改善するかもしれません。そうなれば、公立大学でも結果的に競技間格差の拡大を招くことになりかねません。
公立大学の場合、「Title IX(タイトル・ナイン)」へ配慮しなければならない点も特筆すべきでしょう。Title IXは1972年に制定された連邦法で、連邦政府から援助を受けている教育機関(つまり公立校)において、性差別を禁止するものです。具体的には、運動への男女の参加機会やその待遇で一般学生の男女比に比例した平等な対応が求められます。
フットボールや男子バスケットボールの待遇を改善すれば、それに応じて女子スポーツの対応改善にも着手してバランスさせなければならなくなりますが、その公平性をどう担保するのか。また、その副作用としてほかの男子スポーツの待遇が相対的に改悪される傾向にあり(その方が、男女の総合的なバランスが確保しやすいため)、それが助長される恐れもあります。
オバンノン訴訟とのダブルパンチ
こうした学生労組設立の流れとは別に、『米学生スポーツのアマチュア規定は幻想?(上)~「学生選手にも報酬を」という意見が急増する背景』でも解説したように、NCAAは数千人の元学生アスリートから訴訟を起こされています。
原告代表の名前を冠して“オバンノン訴訟”とも呼ばれるこの訴訟では、主にフットボール選手とバスケットボール選手が原告に名を連ね、肖像権の不法利用による反トラスト法(日本の独占禁止法)違反でNCAAを提訴しています。
NCAAは、学生選手に対して大学入学時に個人の肖像権をNCAAに譲渡するウェーバー(権利放棄書面)にサインを求めています。その目的は「教育振興のために使う」とされているのですが、実際は選手の肖像権を用いたグッズや、テレビゲームやDVDなどのライセンス商品にも活用されており、その市場規模は40億ドル(約4000億円)とも言われています。
原告側は、これを学生アスリートの肖像権の不当利用だとして、損害賠償を求める訴えを起こしたのです。大きな訴訟だけに、公判前の証拠開示手続きだけで5年近い月日を要しているのですが(原告が訴えを起こしたのは2009年7月)、その公判がいよいよ今年6月から始まります。
先のNLRBの決定は学生選手の労働者性の有無を争ったもので、NCAAによる学生選手への対価の支払いを禁ずるアマチュア規定の合法性を直接問うものではありませんでした。オバンノン訴訟の争点の一つはまさにこの部分です。
肖像権は本来的に個人に帰属する権利ですから、プロスポーツでは選手から委任される形で選手会がその包括的利用について管理を行っています。つまり、選手の肖像権を利用したライセンス収入は選手会の収入となります(その後、選手に一定ルールに基づいて分配される)。
学生労組が設立され、オバンノン訴訟でもNCAAが敗訴するようなことになれば、設立された学生組合が学生アスリートの肖像権を管理する形に移行するかもしれません(学生アスリート側は間違いなくそのように主張するでしょう)。そうなれば、今までNCAAが手にしていた巨額のライセンス収入を失ってしまうかもしれません。
問われるスポーツの教育的価値
ここまで述べてきたシナリオは、最悪のケースを想定したもので、また万が一起こったとしても1年や2年で一気に変わってしまうものではありません。NLRBの判断も、オバンノン訴訟も最高裁まで争えば5年、10年という歳月がかかるでしょう。
しかし、NLRBシカゴ支部による判断は、アマチュアリズムを隠れ蓑に大規模なビジネスを展開してきたNCAAの言行不一致を明確に指摘したものです。誰もが疑問に思ってきた問題に対して、国家の公的機関が初めて「王様は裸だ」と明言したのです。
個人的には、米国の多くのファンは既に大学スポーツのことを「純粋なアマチュアスポーツ」だとは思っていないと感じます。ですから、学生スポーツが“プロ化”されたとしても、観客動員数が一気に減るということは想像しづらいです。
仮に学生組合設立の動きが本格化し、学生スポーツのプロ化が進んでいった場合、「プロスポーツ」と「学生スポーツ」の違いは何なのでしょうか? 単に競技のレベルが違うだけなのでしょうか? そもそも、両者に「違い」は必要なのでしょうか? 必要なら、教育機関がスポーツを持つ意味とは何なのでしょうか?
いずれにしても、前例のない領域に踏み出すことになれば、巨額の収益の使い道を正当化するために大学が答えなければならない問いは少なくありません。ここまでビジネスとして肥大化してきたNCAAに、最後にスポーツの教育としての価値が改めて問われることになるのは、皮肉なことです。
最近のコメント