このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです
明けましておめでとうございます。今年も「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」をご覧いただきましてありがとうございます。
このコーナーでコラムを書かせていただくようになり、早いもので今年で9年目になりました。今年も成功事例として、あるいは反面教師として、皆様の参考になりそうな米国の最新スポーツビジネス情報をお届けして参ります。引き続きどうぞよろしくお願いします。
さて、年末年始を挟んだこともあり少し間が空いてしまいましたが、今年最初のコラムとなる今回は、前回に続いて、米国スポーツ界に価格革命を起こしたダイナミックプライシングを紹介します。前回は、ダイナミックプライシングの基本的な考え方やその手法が米国で誕生した背景、期待効果などについて解説しました。
今回のコラムでは、日本市場参入への手応えや、今後導入を見据えた際に感じる日本市場の魅力やハードル、その特性を鑑みて配慮しなければならない点などについて解説しようと思います。
なお、前回にも断り書きを入れましたが、私は後述するQcue(「キューキュー」と読みます)社の日本市場進出を昨年よりサポートしており、ダイナミックプライシングについて多くの情報を知り得る立場にある一方、このコラムを営業的に利用し得る立場にもあります。客観的な記述に努めるつもりですが、その点をお含みいただきご覧いただければと思います。また、当コラムの内容は私の個人的な見解であり、Qcueの公式見解ではないことも併せて明記しておきます。
初めての日本市場視察で進出を即断
私がQcueから日本進出に関する相談を受けたのは、昨年の初夏のことでした。日米のスポーツビジネスのオーナーシップ形態や収益構造の違い、一般的なチケット販売手法など、一通り基本的な日本の球団経営の特徴を解説。加えてデフレ経済が20年続いている日本の市場の閉塞性や、品質に対して厳しい目を持つ日本の顧客の特徴など、一般的な市場特性をレクチャーしました。
ただ、このような市場の違いは「百聞は一見にしかず」で、言葉で説明されるよりも現地を訪れて直接肌で感じた方が理解が速いものです。私は市場調査を踏まえた日本視察を提案し、Qcueの営業責任者と2人で約1週間の弾丸視察を敢行しました。
日本出張では、主なプロスポーツリーグ・球団の関係者、チケット販売会社と面会し、日本でのチケット販売プロセスを学ぶとともに、ダイナミックプライシング導入に際して想定される機会や障害などについて意見交換を行わせていただきました。前回のコラムでも書きましたが、ダイナミックプライシングには「株式市場と同じようにチケット価格が乱高下するのではないか」「人気のある球団にしか効果がないのではないか」といった誤解も多く、その手法を正確に理解してもらうのに時間がかかります。
初めての日本市場視察の手応えですが、面会したほとんどの方にはダイナミックプライシングについて、そのメカニズムや効果を比較的すぐにご理解いただけたようです。議論の中心は「手法の説明」より「システムの導入」や「想定される障害」などに関する実務的な内容になりました。
この視察から帰国後、Qcueはすぐに日本市場進出を決断します。その後、サービス導入に興味を持っていただいている関係者との協議を進め、さらに出張を重ねました。
日本市場の魅力
関係者との面会を重ねるにつれて、日本市場の可能性と障害がおぼろげながら見えてきました。
中でも一番大きな可能性を感じたのが、日本ではシーズン席購入者(事前に全ホームゲームのチケットを購入するファン)の比率が低い点でした。例えば、米メジャーリーグでは、ボストン・レッドソックスなどの人気球団のシーズン席購入者比率は球場収容人数の6割を超えますが、日本ではこの数値がかなり低いのが現状です。
ダイナミックプライシングが価格変更の対象とするのは、シーズン席以外の部分ですから(シーズン席は開幕前に割引価格で一括販売されるため、対象にならない)、これは大きな魅力です。
また、もう一つの魅力は、試合観戦で相手チームのファン比率が高いことです。米国では、スタジアムのほぼ9割がたは地元チームのファンで埋まり、相手チームのファンがいてもまばらな状況が普通です。これに対し、日本ではファンがアウェーの試合にも積極的に応援に行くため、対戦相手が人気球団の場合、下手をすると半分近くが相手ファンで埋まるという状況にもなります。
来場者に相手ファンが多いということは、相手チームの観客動員力を借りることができることを意味します。
価格変動に不慣れな日本
一方、日本スポーツ界へのダイナミックプライシング導入に際して、課題になるものは何でしょうか?
大きなハードルは、チケット価格を変えることに対して興行主側にまだ抵抗感がある点です。この背景の1つとしては、日本では興行主と競合する再販市場が米国ほど成熟していない点が挙げられるかもしれません。日本では、再販市場は一次市場の5%程度の大きさしかなく、興行主・消費者共に価格の変動に直面した経験が少ないのです。
前回のコラムで解説しましたが、米国では再販市場の存在が興行主の設定するチケット価格の硬直性を消費者に気付かせる役割を担いました。米国のチケット販売市場(2013年)は一次市場(興行主が直接販売する市場)が約170億ドル(2兆400億円)、再販市場がその約30%の約50億ドル(6000億円)の規模となっていますが、日本ではまだそれぞれ約6000億円、300億円の大きさに過ぎないと言われています。
日米の再販市場の大きさが際立って違う主な理由を挙げるとすれば、前述のシーズン席比率の違いと、ブローカー(営利目的で転売行為を行う合法的な事業者)の位置付けの違いが大きいように思います。
まず、シーズン席比率の高い米国では、「観戦に行けない試合のチケットを二次市場で販売したい」というニーズがそもそも高い。また、紆余曲折を経て、米国では今は興行主がブローカーと共存する方向で業界が伸びています(今や、再販市場で販売されるチケットの半分以上がブローカーにより提供されているとも言われています)。日本は逆で、ブローカーを排除する方向に業界が進んでいます。
ここでは、再販市場の話題に深入りすることは避けますが、需給バランスによって価格が変動する再販市場が普及していない日本のエンターテインメント界では、「一物一価」の慣習がまだ根強いのです。
また、インフレの米国では、物価上昇に合わせてチケット価格も毎年上昇するのが普通で、消費者もそれを受け入れます。しかし、デフレ経済が20年も続く日本では、チケットの価格が長期にわたり据え置かれているケースも少なくなく、消費者にも価格変動に対してあまり免疫がありません。
変化するチケット流通市場と興行主の意識
しかし、変化の胎動も聞こえます。日本でも、近年チケット再販事業者が存在感を高めつつあります。例えば、スタートアップのチケットストリート社は、2011年よりライブやスポーツイベントなどの興行チケットを個人間などで売買できるマーケットプレースを提供しています。
同社は昨年、「モバオク」「ヤフオク!」「楽天オークション」など大手オークションサイトとの連携を開始したほか、「Yahoo!ショッピング」にも出店するなど、サービスの提供範囲を拡大しています。また、NBL(日本バスケットボールリーグ)との提携により、日本スポーツ界初の「主催者公認チケット再販事業者」にもなりました。
昨年8月には米国のオークション最大手イーベイ(米国のチケット再販サイト最大手StubHubの親会社)と資本業務提携を行い、グリーベンチャーズからの出資金を合わせて合計3億円を調達しています。日本での再販市場拡大に向けて、着実に土台固めを進めています。今後、再販サイトの利便性や認知度が上がれば、日本でも再販市場はより広く浸透して行くでしょう。
一方、スポーツ組織の意識にも変化が見られます。前回のコラムでも指摘したように、日本のプロ野球界では、既に数球団が対戦相手や試合日(平日なのか休日なのか)などに応じて、あらかじめ「ゴールド」「シルバー」「バリュー」といった形で価格帯を事前に複数用意しておく「バリアブルプライシング(Variable Pricing)」を導入しています。この仕組みを導入する球団の数は、今年さらに増えるようです。
バリアブルプライシングでは事前に価格帯が決まっており、ダイナミックプライシングのようにリアルタイムでチケット価格を変動させるわけではありません。しかし、従来までの「一物一価」の原則を変えるという意味では、大きな意識の変化です。日本のスポーツ界が、試合が持つ「本当の価値」に合わせて「価格」を調整する方向に向かっているのは間違いありません。
日本市場への配慮
初めてのサービスに警戒感を抱くのは、洋の東西を問いません。全面的な導入を即断できない場合は部分的にサービスを導入し、その効果や顧客の反応を確認しながら拡大していけばリスクも少なく、想定外の事態にも余裕を持って対応することが可能でしょう。また、一足飛びにダイナミックプライシングを入れるのではなく、まずはバリアブルプライシングで価格変動に慣れてから、段階的に進めるという手もあります。米国でもこうした段階的アプローチは見られます。
そもそも、リベニューマネジメント自体、1980年代にアメリカン航空が最初に取り入れた手法と言われており、それ以前は存在しなかったものです。それが、米国内では1990年代に航空業界からホテルやレンタカー業界などに広がり、日本にも紹介されるようになりました。そして、皆さんもご存じのように、今では日本でもホテルや航空券を予約する際、購入時期によって価格が変動することに疑問を持つ人はほとんどいなくなりました。
とはいえ、日本スポーツ界へのダイナミックプライシング導入に際しては、お客様の誤解を避けるために先手を打って効果的なPRを行うことは重要です。特に、日本はデフレが20年も続いており、その間平均所得は上がらず、消費者物価指数もほぼ横ばいの状況です。米国の消費者に比べて、日本の消費者の方が価格の変化に対して敏感であることは想像に難くありません。
ダイナミックプライシングは、お客様のお財布からお金をむしり取るような手法ではありません。あくまでも、想定される価値に応じたフェアな料金を提示するのが趣旨であり、真のファンを最も大切にする手法です。こうしたファンにとっては、むしろチケットを安く手に入れるチャンスを提供することにもなるので、その点も併せて丁寧にサービス内容や趣旨を説明して行く必要を感じています。
メジャーリーグがそうだったように、あるいは日本でも航空券やホテルがそうだったように、「ああ、日本でもチケットを定価で売っていた時代があったよね」と振り返る時代が来るのも、遠い未来ではないような気がします。
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