1. コラム

タブー視されてきた選手のメンタルヘルス問題

このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです

 覚醒剤を所持していたとして、警視庁組織犯罪対策5課は2月2日、埼玉西武ライオンズや読売ジャイアンツで活躍した元プロ野球選手、清原和博容疑者を覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕しました。もはや、この衝撃的なニュースを知らない人はいないでしょう。

 私はこのニュースを日本出張中のホテルで知りました。港区東麻布の自宅マンションで現行犯逮捕されたとの報道でしたが、奇しくも同じ港区のホテルに滞在していた私は、野球少年だった自分が憧れていた「KKコンビ」の一人が目と鼻の先で逮捕されたという事実に、現実感の伴わない奇妙さを感じずにはいられませんでした。

 その後、テレビのニュースは清原容疑者逮捕の話題で溢れ、ソーシャルメディアも関連ポストで埋め尽くされていました。しかし、この話題の切り取られ方はどれも画一的で、清原容疑者を断罪し、いかにも同氏が昔から薬物中毒者だったと言わんがばかりの報道に溢れていました。

 確かに清原容疑者の行為は責められるべきもので、弁解の余地はありません。しかし、社会の在り方として同容疑者を悪者扱いし、切り捨てるだけの報道には正直違和感を覚えました。それは、もしかしたら私が昨年ヤンキースで起こったある事件の顛末を見ていたからかもしれません。

アルコール中毒の選手に全面的支援を約束

 ニューヨーク・ヤンキースのブライアン・キャッシュマンGMが緊急会見を開いたのは、昨年のプレーオフ開幕前日の10月5日のことでした。同GMは、プレーオフでもローテーション入りが確実視されていたベテラン左腕のCC・サバシア投手が、アルコール依存症の治療のため戦線を離脱し、プレーオフを欠場すると発表したのです。

 メディアとして働く知人に聞いたのですが、ヤンキースの番記者ですら寝耳に水だったようです。それもそのはず、サバシア選手がヤンキースに戦線離脱の相談を持ち寄ったのは、その前日(プレーオフ2日前)だったのですから。

 同選手も文書で声明文を発表しました。少し長いですが、以下に引用します(日本語訳は筆者)。

「本日、私はアルコールリハビリセンターに入院し、病気の治療を受けることになりました。
私は野球を愛し、チームメイトのことを兄弟のように愛しています。ワールドシリーズ出場に向けチーム一丸とならなければならない時期に戦線を離脱することは慙愧の念に堪えませんが、自分のためにも家族のためにも自らを正す必要がありました。私は病気を乗り越え、より良い人間、父親、そして選手になりたいと願っています。
ヤンキースにはその支援と理解に感謝を示したいと思います。彼らのサポートが私に力を与え、迷いない心で前に進む決心をすることができました。
この決断と同様に、それを公表することも困難を伴うものでしたが、私は逃げたり隠れたりしたくありません。ただ、私がこの困難を家族と共に乗り越えて行くまで、そっとしておいてもらえることを望みます。
大人になるということは、説明責任を果たすということです。野球選手になるということは、周囲から尊敬を受けるということです。私は、自分の子供たちに、そして長い年月をかけて私のファンになってくれた皆さんに、自分が助けを求めることを恐れない人間であることを知ってほしいと思っています。前を向き、心から自分のことを誇れる人間になりたいと考えています。それこそ、私が今まさにやろうとしていることなのです。
来年、またチームメイトとともにフィールドでプレーし、私に多くの幸福をもたらしてくれるゲームで活躍できることを心待ちにしています」


(Today I am checking myself into an alcohol rehabilitation center to receive the professional care and assistance needed to treat my disease.
I love baseball and I love my teammates like brothers, and I am also fully aware that I am leaving at a time when we should all be coming together for one last push toward the World Series. It hurts me deeply to do this now, but I owe it to myself and to my family to get myself right. I want to take control of my disease, and I want to be a better man, father and player.
I want to thank the New York Yankees organization for their encouragement and understanding. Their support gives me great strength and has allowed me to move forward with this decision with a clear mind.
As difficult as this decision is to share publicly, I don’t want to run and hide. But for now please respect my family’s need for privacy as we work through this challenge together.
Being an adult means being accountable. Being a baseball player means that others look up to you. I want my kids — and others who may have become fans of mine over the years — to know that I am not too big of a man to ask for help. I want to hold my head up high, have a full heart and be the type of person again that I can be proud of. And that’s exactly what I am going to do.
I am looking forward to being out on the field with my team next season playing the game that brings me so much happiness.)

 キャッシュマンGMは、会見で球団として支援を惜しまないことを約束しました。そして、こう続けたのです。「CCが直面しているのは人生の問題だ。これは明日の試合なんかより大事な話だ」(What CC is dealing with is a life issue. It’s bigger than the game we have tomorrow night)。この言葉は、今でも私の耳から離れません。

表に出にくい選手のメンタルヘルス問題

 サバシア選手の話を清原容疑者と同列に扱うのは無理があるかもしれません。それは承知しています。アルコール依存症は犯罪ではありませんが、覚醒剤の所持は犯罪です。しかし、スポーツ選手によるアルコール中毒も薬物中毒も、実は根を同じくするものです。

 全てを数字で評価され、その結果で天国と地獄が決まるプロスポーツ選手は、普通の人には考えられないプレッシャーの中で戦っています。また、アメリカの場合は長距離の遠征や時差の関係で多くの選手が睡眠障害に悩まされていると聞きます。

 野球選手なら、午後7時からのナイターをプレーし、試合後の取材を終えて帰宅すれば日付が変わっていることも珍しくありません。しかし、アドレナリンを全開にしてプレーした直後にすぐに寝つけるはずもありません。遠征ともなれば、試合終了後にそのまま空港に直行し、遠征先に向かいます。チャーター機での移動とはいえ、ホテルに着くのは夜明け前。その日の夜にまた試合がやってきます。

 こうした過酷な環境の中でサバイブを求められるプロスポーツ選手には、アル中やうつ病などの精神的な病を抱えている選手が少なくないであろうことは想像がつく話です。実際、米メジャーリーグ(MLB)にもこの手の逸話はたくさんあります。

 例えば、最近ならテキサス・レンジャーズのジョッシュ・ハミルトン選手(2010年のアメリカン・リーグMVP)はアルコールと薬物の依存症だったことを告白していますし、98年に完全試合を達成したヤンキースのデビッド・ウェルズ投手は、自伝の中で登板時は酒に酔っていたことを暴露しています。古くは、MLB史上唯一ワールドシリーズで完全試合を達成したドン・ラーセン投手も登板当日は朝まで酒を飲んでいたと言われています。

 日本でも、米国同様にこの手の逸話は昔の選手の豪快さを示すエピソードとして語られてきた節があります。弱さを見せることが負けに等しいプロスポーツ界では、深刻な精神衛生上の問題であっても、それを武勇伝や笑い話として処理するしかなかったのでしょう。選手として成功することができたとしても、華やかな現役生活にピリオドを打ち、全く新しい人生を歩むことを強いられる引退後には、多くの選手がストレスを抱えることになります。

選手に対する支援の動き

 近年、こうした過酷な環境でプレーする選手を「等身大の人間」として理解し、包括的な支援を行う動きが出てきています。例えば、昨年プロサッカー選手のメンタルヘルスに関する画期的な調査が国際プロサッカー選手会(FIFPro)によって実施されました。

国際プロサッカー選手会(FIFPro)のサイト

 この調査は、ベルギー、チリ、フィンランド、フランス、日本、ノルウェー、パラグアイ、ペルー、スペイン、スウェーデン、スイス11カ国の選手に対して実施されたもので(現役選手607名、引退選手219名が対象となった)、以下のような衝撃的な事実が明らかにされました。

  • 現役選手の23%、元選手の28%が睡眠障害を訴えている
  • 現役選手の9%がアルコールの乱用を認め、引退選手では25%に急増する
  • 現役選手の38%、元選手の35%が過去1カ月間に不安やうつ病の兆候を報告した
  • 重度の怪我とうつ病の相関関係が認められた
  • 3回以上重症を負った選手は通常の2~4倍の確率でメンタルヘルス上の問題を報告する

 男らしさが売り物のプロスポーツ界では、精神衛生面の問題はタブー視されるケースが多く、選手は問題を抱えていても助けを求めづらい環境にあります。そうした特殊性を理解し、スポーツの側から選手を積極的に支援するように、時流が変わりつつあります。

 昨年、ニュージーランドのサッカー界で画期的な出来事がありました。サッカー協会と選手会との間に結ばれた新労使協定に、選手のメンタルヘルスに関する条項が盛り込まれたのです。

 これにより、代表選手が国際マッチに召集される際にはチームドクターが個別面談を行い、メンタルヘルス悪化の兆候があればカウンセリングが提供されるようになりました。これは、元ニュージーランド代表チームの主将クリス・ジャクソン氏が自身の精神衛生上の問題を公にしたことに端を発しています。

 MLBでも、シカゴ・カブスやボストン・レッドソックス、ワシントン・ナショナルズなどの球団が昨年から選手の精神衛生に配慮した「メンタルスキル・プログラム」を導入し、「ライフスキル・コーディネーター」(life-skills coordinator)や「メンタルスキル・コーチ」(mental-skills coaches)といった役職を新設する動きが出てきています。

個人を断罪するだけでは不十分

 先月、日本からクライアントを迎え、マジソン・スクエア・ガーデンでNBA(米プロバスケットボール協会)の試合を観る機会がありました。試合前、アリーナ最前列のコートサイド席に座る大男に多くのファンが写真撮影を求めていました。

 その時は「あの人誰だろう。体の大きさから見てフットボールの選手かな?」くらいにしか思っていませんでした。ところが、試合中に「今日の有名人」としてビジョンに映しだされたその人は、復帰に向けて更生中のサバシア選手だったのです。その瞬間、アリーナは割れんばかりの拍手に包まれました。

 臭いものに蓋をして切り捨ててしまうのは簡単です。しかし、清原容疑者に起こったことは、どのプロスポーツ選手にも起こり得ることです。もちろん、清原容疑者の行為が事実なら、それは許されるものではありません。しかし、薬物中毒は、選手個人の問題であると同時に、選手の置かれた環境の問題でもあります。

 日本のスポーツ界もその事実を見据え、選手を守る包括的なメンタルヘルス・プログラムを導入すべき時期に差し掛かってきているのかもしれません。清原容疑者も、いつかサバシア選手のように社会復帰し、日本中のスポーツファンから割れんばかりの拍手で暖かく迎えられる日が来ることを願ってやみません。地獄を見たからこそ、後進に語れるストーリーもあるはずですから。

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